新しいエンターテインメントを目指す「現場」がここにある!

高橋洋(脚本家・映画監督/主任講師)

映画には必ず主人公がいる。
映画に限らない、物語を扱うすべてのメディアにこれは当てはまる。
主人公はたいがい、何か克服せねばならない「問題」を抱えている。
僕たちの日常生活だってそうだ。みんな何かしら問題を抱えている。
でも、他人が抱える問題に誰も興味を持とうとはしない。自分のことで精一杯だ。
ところが不思議なことに、映画を見始めると、赤の他人の主人公が抱える「問題」がまるで我がことのように感じられる。
そして「問題」がついに克服される瞬間を見届けたいと思う。
これがエンターテインメントの骨法なのである。
この学校はみなさんと一緒に新しい時代のエンターテインメントを開発することを目指している。
魅力的な「問題」を発見して欲しい。
そしてそれをいかに観客に届けるか、講師たちと探求する「映画作りの現場」を体験して欲しい。

初等科(木曜)夜クラス担当講師メッセージ

小中千昭(脚本家・作家)

映像作品のシナリオは、書くばかりではなく読むにも技術が要るものです。
このシナリオが、映像作品の成否を左右します。予算が数十億もある様な大作も、自主映画であっても、その設計図は脚本家が書いたシナリオなのです。
シナリオは、セリフや場面を記すだけのものではありません。映像作品の30分、60分、120分と媒体によって様々である時間を制御する、知的なパズルでもあるのです。
のシナリオ論は、他で教わるものとは大分異なります。
今の映像業界に於ける、シナリオ技術の圧倒的な劣化は、意欲あるこれからのシナリオ作家が変えていくしかありません。
その助けをしたい。初心者でも歓迎するので、意欲ある人が集まることを望みます。

初等科日曜昼クラス担当講師メッセージ

高橋泉(脚本家・映画監督)

脚本を書くことはひとりで出来ます。空いてる時間に好きなだけ書けます。
脚本はひとりでも覚えられます。作法書とシナリオを読み込めば。
でも、作品を生み出す時は、ひとりじゃない。必ずチームになります。
プロデューサー、監督、脚本家が顔を付き合わせて、何時間も話します。
作品をより良くするために、何度も細かく設計し直します。
5分でも、15分でも、それは課題ではなく、作品の設計図だと思って下さい。
そのために、クラスがチームとなって意見を交わし合う。作品をより良くするために。
饒舌じゃなくていいんです。コミュ障でいいんです。熱だけあれば。
講義というよりも、そういう場でありたいと願っています。

高等科昼クラス担当講師メッセージ

田中幸子(脚本家)

脚本は設計図。

はい、これ、よく言われます。しかし同時に、脚本は企画を動かすものであり、監督さんやプロデューサーさんを刺激するものであり、撮影スタッフの皆さんを ムッとさせてしまったり納得してもらったりするものであり、俳優さんに何かを決心してもらったり、出資してくださる方々の判断に影響するものであり、原作を飛躍させるものであり、素敵なセリフがちりばめられたものであったりします。このように、脚本の役割は多様です。とはいえ、これら全部を踏まえて、やはり、脚本は、物語を魅力的に映像化するための設計図でなければなりません。

脚本に100%の正解は無いのかもしれません。でも、100の可能性はあるかもしれないと考えています。クラスでは、みなさんと一緒にその可能性を考え、みなさんの執筆活動を厳しく(?)見守りたいと思っています。

高等科夜クラス担当講師メッセージ

「さまざまな感情の揺らぎを、架空の登場人物に仮託して、映像作品の中に固着させる設計図を書くこと。これがシナリオライティングです。」

村井さだゆき(脚本家)

想像してみてください。10年後の自分を。
見回してみてください。今の自分を。
そこに1本の線を引いてみましょう。
あなたは、そこに一直線に進みたいと願うでしょう。
でも、ただ平坦な道を、真っ直ぐに進むだけではつまらないと思いませんか?
線の上に障害物を置いてみましょう。
それは人との衝突かも知れません。
突発的な事件かも知れません。
あなたはその度に葛藤し、たくさんの選択肢に迷いながら、前に進みます。
時には自力でそれを乗り越え、時には人に助けられながら。
10年後、この出発点を振り返ったとき、その道筋はとても豊かな歩みになっているでしょう。
まるで一本の映画のように。
今やってみたこと――実はこれがシナリオ作りの奥義なのです。
私たちは今も日々、泣き、笑い、歓び、怯え、楽しみ、怒り、ホッとしたり、哀しんだり、ただ呆然と立ち尽くしたりしながら生きています。さまざまな感情の揺らぎを、架空の登場人物に仮託して、映像作品の中に固着させる設計図を書くこと。これがシナリオライティングです。
あなたが10年後のあなたを目指して歩き出すなら、私たちはその最初のささやかな援助者になれるでしょう。