「シナリオワークショップ」/担当講師:高橋洋

enshutsu1フィクション初等科は、シナリオに囚われることなく、まず自由に撮ってみることから映画作りのフットワークを身につけることが眼目でした。このフットワークの鍛錬なくして、修了制作はあり得なかったろうと思います。が、同時に修了制作において、多くの人は次の2つの問題にぶつかった。

 1. 自分が撮るべき映画とは何か?(企画の問題)
 2. その企画をいかにして準備段階に持ち込むか?(シナリオ・ライティングの問題)

もちろん、最大の問題は1. ですが、1. と連動して2. でも思うように筆が進まず、結局準備が遅れに遅れ、悔しい思いを味わった人も多かったと思います。この企画・シナリオレベルの難しさにぶつかって貰うことがカリキュラムの最終的な狙いだったとも言えます。そしてこの一朝一夕では解決するはずのない問題について、じっくり時間をかけて取り組むのが高等科脚本ワークショップの役割です。最初に結論を言ってしまうと、自分が撮るべき企画とは何か? それは明らかなのです。自分が他の人々よりもよく知っている事柄です。そしてよく知っている事柄は、いかに描くべきか語るべきかも(演出レベルも含めて)自ずと判るはずなのです。初等科修了制作を見ても、よく知っている事柄、深く考えぬいた経験がベースにある部分は表現として強いと実感したのではないでしょうか? 逆に言えば、多くの人々は、自分が漠然と撮りたいと思う事柄とよく知っている事柄を取り違えてしまっているわけです。よって、シナリオワークショップは、この取り違いを見極めるための実践を繰り返すことを目的とします。

<第1ターム>コラボ段階
コラボ担当の西山講師からお題を受けて、西山講師が撮るべき映画とは何かを考えます。西山講師のお題は彼がよく知っている事柄、あるいはこれから深く探求したいそのとば口を見出しているもの、のはずです。つまり私たちは、自分が何をよく知っているかではなく、まず、赤の他人が何をよく知るべきかを探求する修練を積むのです。これはプロの脚本家なら誰もが業界で常に要求される作業です。プロの脚本家は、発注を受けて、自分が何を撮りたいかではなく、発注者が何を撮りたいかを考えるのです。これが「よく知っている」とはどういうことか、取り違えることなく「精度」を上げてゆくための最善の訓練となります。実際の作業ベースでは、西山講師のお題を踏まえた企画ネタ出し、取材・調査等を経て、企画内容を固め、方向性を共有したところで、各自がプロット作り、シナリオライティングを経験します。上記問題の2. で多くの人は「自分が何を書きたいのか判らなくなる」という壁にぶつかったはずです。そして書くための貴重な時間が無為のうちに過ぎ去ってしまう。だが、この第1タームでは「何を書くべきか」は、担当講師の僕がアイデアやエピソードの取捨選択、配列の仕方をサジェッションし、どうしても話がまとまらなければ僕なりにジャッジを下し、全員に企画内容が明瞭な形で共有される状態まで導きます。あとは西山講師が何をよく知るべきかを、我々がシナリオの形で書き上げ、提示すればいいのです。シナリオを書き上げたことがない人も、与えらた人物のキャラクター、設定、コンストラクションの中で、人物を動かし、台詞を書いてみるのです。そこで常に問うべきは、自分は西山講師が知るべきことを書き込んでいるかどうかです。このような擬似脚本家的な経験を積むことによって、シナリオライティングの基礎を身につけて貰います。むろん、メソッド的な一般論にも触れますが、いわゆる座学よりも、実践を通した中での方法の獲得を重視するのが、フィクション・コースの考え方です。

<第2ターム>短編習作段階
第1タームのシナリオ体験を踏まえて、今度は10分程度の短編習作シナリオの形で、自分がよく知っていることとは何かを探求して貰います。それは即ち、修了制作に向けた企画開発の予行演習でもあります(修了制作をどう位置づけるかは後述)。すでに修了制作の題材をこの時点で見出した人は、その10分バージョンを書いてみてもいいです。いくつかの題材で迷っている人はそのどれかを任意に選んで書いてみてもいい。書いてみれば、その手応えで自分がよく知っている題材かどうか見極めがつきます。まだ題材が見出せていない人には、第1ターム同様、僕からお題を提示する可能性もあります。ただし、提示されたお題が「イマイチ気乗りがしないので」書けない、はナシです。お題とはそのような自由選択が出来ないからお題なのです。そして書きたくもないものを無理やり書かされている時、自分が真に欲している題材がお題の周辺部から見えてきたりします。真の題材が見えたかどうかで、お題変更を了承するか判断します。

<第3ターム>修了制作段階
第1タームからここまでの流れの中で、ワークショップでは修了制作の位置づけについても繰り返し言及します。初等科においては、修了制作の位置づけは「自分の撮りたい映画を形にしてみる」でした。だが、高等科においては、ミニシアターレベルの観客を視野に入れた企画性(より踏み込んで言えば興行性)とクオリティーの面からのジャッジが必要になると考えて下さい。むろん、初等科が終わったばかりのみなさんに、劇場公開や映画祭での評価を狙うインディペンデント作家たちの戦略性をいきなり身につけろと言っても無理があるでしょう。しかし、みなさんが映画の作り手を目指す以上は、自分たちの映画は、こうした野心ある作家たちの映画と常に比較され、インディペンデントにはインディペンデントなりのマーケットが存在するという現実の中でいかなるスタンスをとるか、態度決定が迫られるのです。コラボ制作、習作短編を経て、インディペンデントにおける自分のスタンスを問い、それにふさわしい題材を見出して下さい。いたずらに今日のマーケットにおもねる必要はありません。今日のマーケットの事情が明日も続くものかどうか、誰も保証する者はいないのです。だが、ここにおいても観客を強く撃つのは、作り手がよく知っている事柄、他の人たちはそれについてよく知ってるかどうかすら考えもしなかった事柄であることはハッキリしているのです。

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