映画の字幕を翻訳をしている最中に起こる困ったことなどを一席。私の場合はズバリ、“癖がうつる”こと。たとえば『アデル、ブルーは熱い色』(日本公開は2014年)を訳していた際は、なぜかひっきりなしに自分の顔のどこかしこを触ってしまうアデルの癖がそのまま伝染して、しばらく人と話している時などつい頬っぺたとか唇とかを触ってしまい、我ながら気色の悪い癖だなとうんざりした。それがようやく収まったかと思うと、今度は次の作品の誰かの癖と果てしなく連鎖して、最新の癖はやっぱり最新作の登場人物の癖で、“舌打ち”。演劇志望のちょっととんがった女の子が喋りながら「チェッ、チェッ」と舌を打ち鳴らすのがストレートに伝染して、翻訳している最中に一緒になってチェッ、チェッとやっている自分に気づいて愕然とすることしばし。その他に、わりとありがちなのが、映画に合わせて一人芝居をしていること。自分が訳してるセリフを登場人物に合わせてブツブツつぶやいていたりして、きっと傍から見ると少々アブない人になっているかもしれない。

 それはつまり映画の世界の中に自分が没入しているからにほかならない。いわば共感力のようなもので映画とシンクロしているのだろうから、泣いたり笑ったり呟いたり、孤独な作業でありながら、結構、騒がしく翻訳している。(したがって私はバイオレンス映画は絶対に翻訳できない。プロとしてあるまじき事だとは思うが怖いものは怖い!)

 といって没頭してばかりいては出来上がるのは妄想映画になってしまいかねない。映画はナマものだから、それが作られた時代、つまり歴史の流れの一点としての時代性と、たとえば「イスラム国」の問題が起こっている今ここ、という同時代性を常に意識していたいと思う。

(インタビュー・構成 スズキシンスケ)

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