昨年暮れ、高倉健の訃報が流れてすぐの頃に大工原正樹監督と飲む機会があった。
 大工原さんはしごく率直に、彼こそが最後の映画スターであって、出演作は必ず見に行っていると話してくれた。
 僕は正直、そこまで思い入れたことがなかったので、この反応はけっこう意外だった。僕の中で高倉健にずっとひっかかっていたことがあるとすれば、それはどこかジョン・ウェインに似ているということだった。容貌が、ではない。二人とも間違いなく大スターだけど、何で大スターなのかよく判らない、彼らが体現する「男の中の男」「ヒーロー」って何なのだろう? いや、しかしそのよく判らない感じこそが大スターの要件なのかも知れない、そう思わせるところに似た感触があるのだった。

 それでたまたま、リドリー・スコットの『ブラック・レイン』(1989)を見直してみて、驚いた。公開当時は松田優作と小野みゆき(ファンなんです)目当てで見に行ったこの映画は、今見ると80年代の時代性に寄りかかり過ぎている面が古びて見えてしまうのだが、ビックリするくらい高倉健の映画になっていた(松田優作ファンには申し訳ないが……)。高倉健が登場したトタン、画面の発する磁力が違うのだ。これはかつての自分には見えていなかったことだ。当時はあまりに当たり前のことだったのか、それともこの頃はマイケル・ダグラスもそれなりの磁力を発していたのか。ともかく、映画の記録性は恐ろしい。

 ところで、昨年、僕はカナザワ映画祭のイベント用に『映画の生体解剖ビヨンド』というフッテージ・コラージュを作ったのだが、ここで僕がテーマの一つにしたのは「映画における人種」だった。いわゆる社会問題としての人種ではなく、むしろそうやって社会問題化すると見えなくなってしまうもの、たとえば日本人俳優がハリウッド映画に出演した時に、我々日本人の観客が覚える奇妙な違和感、といった形で現れるものについて考えようとした。違和感というのは、役回りの設定も含めて、この俳優は映画に本当の意味で参加していないのでは?という居心地の悪さである(おそらくどの国の人々も自国の俳優の姿に似たものを感じていると思う)。『ブラック・レイン』の高倉健もまた、役回りでいえば、マイケル・ダグラスをアテンドしているだけである。だが、違和感はまるでない……、というか彼の映画になっている。

 もう一つ驚いたのは、高倉健が発する日本語の台詞だった。監督がネイティブでない時、異国語の台詞は演出上のジャッジのしようがない。ネイティブのアドバイザーが付いたとしても、それはあくまで発音上のことであって、台詞を演出する次元ではない。プロフェッショナルな俳優でも、演出不在の場では、台詞のコントロールには大いに苦しむ。だが、高倉健は日本語を、まさにこの映画の台詞として発していた。英語に堪能であった彼は映画全体のトーンを「音」でつかんでいたのだろうか(ちなみに神山繁、安岡力也の台詞も安定していた)。ともかく、そういうことも『ブラック・レイン』が高倉健の映画になった要因だと思うのである。大工原さんが語っていた「映画スター」とはそういう局面をも呼び込んでしまう存在、ということなのかも知れない。

(なお、より突っ込んだ話は「ユリイカ」2月号の高倉健特集に書いたので、興味のある方、お読みください)