フィクション・コース第25期初等科は、1年間のカリキュラムとなります。
演出・脚本・撮影・照明・録音・編集と映画づくりの基礎を学べます。また修了制作として希望者全員が短編映画を制作します。講義内容によりオンライン、対面と適宜対応。コロナ禍の状況でも安心して通うことが可能です
開講にあたり、第25期初等科の講師を担当する高橋洋さんにメッセージをいただきました。

映画づくりはとにかく楽しいのです。
僕はたいした人生経験もありませんが、この世にこれほど人をマジにさせ魅了するものって他にあるだろうか?と、映画を作れば作るほど思います。
こんな楽しいことを毎日やっていてOKなんて、自分はなんという幸運なヤツだろう?
にしても、この楽しくてしょうがない感じって一体どこからやって来るのか?
映画づくりの現場はたいがい過酷です。
僕は高校生の時から映画を作ってますが、楽だった現場はただの一本もありません。
毎回、今度こそは楽な現場にして、みんなから感謝されるようにしようと思うのですが、
いつも決まって想定を超えるような…時には悪夢のような展開になってゆくのです。
しかも、その想定の超え方というのが、何で準備段階で気づかなかったんだろう? ちょっと考えれば判ることじゃないか? バカなの?と思うようなことばかりで、
自分の学習能力のなさに愕然とするのです。
どうやら…自分の知能のことは脇に置いて言いますが、映画づくりとは思考不能の問題に向き合うことなんじゃないのか?
というのも、僕たちがやっているのは、現実には存在しないものを地上に降ろそうとする行為だからです。
現実には存在しない人物や行動が、今まさにそこに生まれているようにするにはどうしたらいいのか?
ハウツーや正解なんて、最初からあるはずがないのです。
ただとにかくありったけのことを試みて、「うわ、リアルだ」と思える瞬間が訪れるかどうかジタバタするしかない。
(僕たちはリアルをリアルじゃないものを通してしか体感できない、とも言えます)
リアルが訪れるかどうか、作品の運命は、僕たちが現場で下す一瞬一瞬の判断によって刻々と決まっていきます。
そのことがまるで超濃密な人生を生きているようだから、映画のスタッフはよく「何世も生きた心地がする」と言うのだと思います。
作り手たちが夢中になるのは、このスリリングでシビれる感覚なのです。
『エル・トポ』のアレハンドロ・ホドロフスキー監督はあるインタビューでこう答えてました。
自分は芸術家ではない、ギャンブラーだ。 
この言葉はものづくりの本質を鋭く言い当てていると思います。
みなさん、どうですか? 難しく考える必要はない、賭けなのです。

プロフィール

高橋洋 Takahashi Hiroshi

1959年生まれ。学生時代は早大シネマ研究会に所属、『夜は千の眼を持つ』など8ミリ作品を発表。映画同人誌「映画王」の編集にたずさわる。90年に森崎東監督のテレビ作品『離婚・恐婚・連婚』で脚本家デビュー。

主な脚本作品に、中田秀夫監督『女優霊』(95)『リング』(98)『リング2』(99)、北川篤也監督『インフェルノ蹂躙』(97)、黒沢清監督『復讐 運命の訪問者』(96)『蛇の道』(98)『予兆 侵略する散歩者』(17)、佐々木浩久監督『発狂する唇』(99)『血を吸う宇宙』(01)、鶴田法男監督『リング0バースデイ』(00)『おろち』(08)がある。なかでも『リング』シリーズは大ヒットを記録、世界にJホラーブームを巻き起こした。

04年『ソドムの市』で長編初監督。他の監督作に『狂気の海』(07/映画美学校フィクション・コース第9期高等科生とのコラボレーション作品)、『恐怖』(10)、『旧支配者のキャロル』(11/フィクション・コース第13期高等科生とのコラボレーション作品、映画芸術2012年ベスト4)、『霊的ボリシェヴィキ』(17/フィクション・コース第19期高等科生とのコラボレーション作品)。編著書に「大和屋竺ダイナマイト傑作選 荒野のダッチワイフ」(フィルムアート社)、「映画の授業」「映画の魔」(青土社)、稲生平太郎との共著「映画の生体解剖」(洋泉社)、脚本集「地獄は実在する」(幻戯書房)がある。

脚本最新作は三宅唱監督『Netflixオリジナルシリーズ 呪怨:呪いの家』(20)、監督最新作は初のリモート映画『彼方より』(20)。

フィクション・コース第25期初等科 9/8(水)開講!

詳細はこちらから

<NEW!>8月14日(土)に行われた募集ガイダンスの様子を限定配信いたします!
→配信は終了いたしました。お申込み、誠にありがとうございました。(2021/8/26 映画美学校事務局)