フィクション・コース第10期初等科に入学し、その後プロの作り手となり、現在はフィクション・コースの講師でもある三宅唱さん。そんな三宅さんと受講生時代に出会い、フィクション・コース第19期初等科では三宅さんとともに講師を担当したフィクション・コース/脚本コース講師の高橋洋さん。
そんなお二人が脚本/監督を担当した『呪怨:呪いの家』が現在Netflixで配信中です。映画美学校時代のこと、『呪怨:呪いの家』、さらには映画づくりについてなど、多岐にわたってお話いただきました。

高橋洋さん×三宅唱さんインタビュー(1)はこちら

—ちょっと話それますけど、最近の日本のホラーって10代が中心なんですかね?お客さん。

高橋 あれじゃないの?白石さんのあの、なんだっけ。白石さんの人気のあるビデオシリーズなんだっけ?

—ああ、『コワすぎ※』。(※白石晃士監督:『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』)

高橋 ああいうのは本当に10代や大学生とかが本当に好きで見てるっていうね。今までのホラーがどうこうじゃなくて、本当に今目の前にあるものが面白いっていう。白石さんもそういうフットワークでつくってるしね。

—あ、そうだ。僕この前聞けてなかったんですけど、一瀬さんと高橋さんで、脚本コースで話をされてたんですよね。そのときに、三宅さんを起用した理由みたいなところで、最近のハリウッドのホラーの話がちょっと出てたって話を聞いて。ジョーダン・ピールとか。

高橋 ああ、うん。そう、さっき言わなかったんだけどフレデリック・ワイズマンがきっかけで「三宅監督どう?」っていうことを言った時に、今までホラー撮ったことがなくてもいいから、誰か面白い人がいないのかって話を一瀬さんとしたときに、「結局人間ドラマを撮れる人じゃないといかんな」っていう話になったんだよね。
やっぱり日本のホラーを撮ってる監督たちは、ホラーシーンに関してはマニアックに頑張ってくれるんだけど、その分人間の描写の方が、登場人物の描写、ドラマパートのほうが薄いと。あっさりしちゃってて。ところがアメリカに目を転じるとジョーダン・ピールみたいにそこもがっちりやる、手練れが撮ってて。そういうもんじゃないと通用しないんじゃないかっていうお話がありましてですね。というか、そういう話を二人でしてですね。そうだよね、と。生々しく人間を撮れる人じゃないと、これから先ホラー映画は進化していかないんじゃないのっていうことを話してですね。特に今回の『呪怨:呪いの家』の脚本が実録犯罪もの、実際にあった事件をベースにして、そこからインスパイアされたような内容になってて。人間の生々しい修羅場の部分を描くシーンが結構あるんですよ。
で、まあ、三宅監督はそういうその、いわゆる犯罪系とかスリラー系のものはやってはいないと思うんだけど、『きみの鳥はうたえる』とかで見せてる演出力をそういう生々しい、猟奇的な世界にぶつけても面白いんじゃないの、ってことで、声をかけてみたんですよね。それがやっぱりあたってたと、我ながら思うんですけどね。一瀬さんもやっぱり演出力ってすごく買ってたよね、現場で見ててね。

三宅 一瀬さんはそう言ってくれてましたね、現場で。まあなんだろ、僕は人間ドラマって言われると……人間ドラマって自覚はないんですけどね。

高橋 うん、うん、うん。

三宅 ただ、他の監督との比較話なんかを聞いていると、僕は役者と一緒にものを作るっていうことが、なんだろうな、上手いとも早いとも思わないけど、嫌いじゃないタイプの人間(笑)。はじめての役者とはじめてのスタッフなら、スタッフの方がちょっと緊張しますかね。役者にとって楽しい現場にはなんとかできたかなとは思います。いい役者に恵まれました。

高橋 キャスティング良かったですよね。

三宅 そうですね。小田島やはるかなどメインの人物はいるけれど、僕がホン読んだ時には、誰もが主人公というか、群像劇としていろんな人物がいる印象もあったんです。あまりヒエラルキーがなくて、家の夫婦たちや無名の人たちの存在感も強いホンだった。
キャスティングのバランスと演技のバランスで、ごそっといろんな人たちがいるぞっていう世界が撮れるといいなって思っていました。それは割と手応えはあったなっていうふうに思います。不動産屋さんとかすごいよかった、って言われると嬉しい。

高橋 不動産屋さん(中村シユン)よかったよね。

三宅 中村さん、すごいです。

高橋 いや、あれ、なんであんな人いたんだろうってすごいびっくりしたよね。あれオーディション?

三宅 いえ、キャスティングの方の推薦で。あのシーン、撮る直前までは不安だったんです。怖いことが起きる場面じゃないし、無理に段取りをつけようがない場面だし。ごくごく「普通」に撮らなきゃいけないシーンで、それが一番難しいよなあ、と悩んでました。で当日のテストで、中村さんがあのアプローチで芝居をしてくれて、「あ、すごい。あとカメラ置くだけじゃん」みたいな。僕はとくに仕事をしてません。

高橋 そっか、三宅くんってリハーサルみたいなことはやらないんだっけ?

三宅 やった人たちもいました。でも、事前に全員やる時間は全くなかったですね。何人かだけです。

高橋 いや、あの不動産屋さんは、「ええっ、こんな芝居できる人いるんだー」って。

三宅 本当に面白かった。

高橋 僕は結構、昔の橋爪功みたいな印象があって。

三宅 ああ、確かに。

高橋 でも、橋爪功とはまたちょっと違ってて。こういう人いたら、テレビドラマとかいっぱい出そうな気がするんだけど、出てないんだ。

三宅 いろんなドラマにめちゃくちゃ必要な方だと思います。

 

—あ、ちょっとこれは蛇足かもしれないんですけど。最近の(映画美学校の)受講生は、あるジャンルの映画を撮ろうみたいな意識を持ってる子って、すごく減ってきたイメージがあるんですね。例えば、19期とかの近藤くんとかはホラーを撮ろうとしていたじゃないですか。多分、最近だと彼で最後なんじゃないかなと思うくらいで。

三宅 そうなんですね。近藤くんは今回、演出部に入ってもらいました。

—修了制作で、例えばコメディだったり、ホラーとかっていう、ジャンルを撮ろうということよりも、みんな、そこまで考えてるかどうかわからないんですが、ジャンルを回避しようとしてるような感じが。なんていうんですかね、ある枠にはまらないようにしてるというか。それがいいんだか悪いんだかっていうのはちょっと僕もよくわかっていないところではあるんですけれども。ジャンルって、どういうものなのかなと最近よく思います。

高橋 さっきのさ、三宅くんが、スピルバーグ見たことない人がいるっていう話をしてましたけど。まあ確かにそういう人はいますよね。いますけど、ちょっとその、映画との関わり方がね、さっき偏食と言ってましたけど。変だなという。多分、そういう人が大好きであるに違いないゴダールなんて人は、あの人がやってきたのはアメリカ映画との戦いですよね。アメリカ映画っていうのが、もう完全に身体の中にビルドインされてる人がそうやって戦って映画作っているっていう。じゃないとゴダールの映画はありえないわけですけど。ていうことだよね、ゴダール見た人はみんなわかってると思うんだけど。

三宅 僕もそう捉えていて。ゴダールもそうだし、例えばアメリカ人でも、ジャームッシュ(ジム・ジャームッシュ)みたいな人も、当然ニコラス・レイだったりとか、そういった映画がまずあると思うんです。

高橋 うん。

三宅 なんだろうな、そうした文脈は、近しい人や映画美学校生のような人とは、多少は共有したいんだけどなあ、と思うことがあります。例えば僕は「三宅さんってジャームッシュをやろうとしてるんですよね!」なんて言われることが稀にあるんですが、いや、僕は僕なりにいろんなアメリカのジャンル映画を見ながら、じゃあ自分には何がやれるかって考えてるつもりなんだけどな、と思いつつ、色々説明するのがすごく面倒臭かったりして。

高橋 だから、実はジャンルっていうのは何かこう、映画を作るときに確かに選択するものではあるんですけど。ジャンル系でいくかとか、作家系でいくかとか、選択するものではあるんだけど。商品にするために、パッケージにするためにこういうことやっていきますみたいなことじゃないんだよね、ジャンルを選ぶっていうのはね。
それはジャンルとの戦いを選び取ったっていうことであって。何かに収めたらいいんですねっていうんじゃなくてさ、パッケージで、今回割り切りましたとかさ、そういうことじゃない(笑)

三宅 (笑)

高橋 逆に、どうもちょっと、ジャンルを選択する人っていうのは、そういうイメージで見られがちだし、本人たちもなんか、パッケージでいく今度?みたいな意識でいくレベルなのかなと、そっちが心配になったり。

三宅 ああ、なるほど。それは考えたことないけど、確かにそういうのもあるんだろうな。

—今の、「ジャンルっていうのはそのジャンルと戦う」っていうのはすごい、なるほどなと思いましたね。

高橋 そうよ。そういうものよ。

—最近は、昔ほど映画に詳しい子とか、偏ってる子とかが多いわけではないんですけどね。満遍なくいろんな映画を、それこそシネコンとかでめちゃくちゃ映画を見てる子とかも(映画美学校に)入ってくるんですけど。そういう子たちでも、「これはこういうこと?」ってジャンルの話をしたりすると、「いや、そういうことじゃないんですけど」ってなることが結構多くて。あんまりそういうことを決め付けたくないし、決め付けられたくないみたいな。

三宅 それはそれで肯定的に受け止めたいなあとも思っています。映画が本当に気軽に撮れるようになったという時代の恩恵を、僕も受けているし。
自分が見てきた映画と戦うんじゃなくて、普段自分が生きている世界と戦うところで何かものを作るってモチベーションは、僕も当然あるし、そこで、これまでまだ語られていない面白いものが出てくるかもしれないっていう期待もある。
でも一方で「でもね」、って。映画はもう既にめちゃくちゃ撮られていて、わざわざ自分が撮る理由っていうのは見つけないといけないよな、と。わざわざ新しい映画をつくらなくても、面白い映画もつまらない映画もすでにいくらでもある。でもやっぱり新しい映画を作らなきゃならないんだ!って立ち上がるとき、ジャンルとの戦いというか、映画史との戦いというか、そういう発想は自然と出てくるはず、と僕は思う。
他の人がすでにやってるものをわざわざ再生産するなんて、そんな無駄なことしたくない、って僕は思います。面倒臭がり屋なので。そんなことに大勢の人を巻き込むのも怖いし。他人や映画史なんて関係ない、って人もいると思うんだけど、でもそれってマジで無駄死にかもしれないけど大丈夫?時間とかお金とか体力とか勿体無くないかな?ってちょっと思う時がありますね。

—今、「誰でも撮れる、撮ることが身近になっている」と伺ったんですけど、その流れで。18期からみんな撮る方式の修了制作が初等科で始まったのって、三宅さんの発案ですよね?

三宅 うん、発案ってことになってますよね。

—そうだったと思います。今聞いて、撮ること自体が身近になってるって時に、選ばれた人だけしか撮れないみたいな形じゃなくて、全員が撮れるみたいな方式にしたのかなって今聞いてて思いました。

三宅 これはあくまで僕個人の考えだけれど、映画美学校の初等科に入ってくる人たちって、明確にプロを目指している人だけでなく、単純にもっとライトに、「とりあえず一度映画を撮ってみたい」っていう人たちもいると思うんですよ。僕自身も当時そこはふわっとしてたし。そういう人たちに「プロの覚悟」を求めるようなカリキュラムだけを提示するのは、需要と供給のバランスが悪いかもしれないな、と少し思っていたんですね。
僕は「どんな人でも人生で一回くらい映画を作って見たらいいんじゃない?」と考えていて。今は、海外旅行に行くくらいの気軽さで映画を作れる。何かを撮ったり、人を演出する、っていう経験が気楽にできるようになったから。初等科は、それくらいの場として、ただ仲間を見つける場所、ってぐらいの位置づけがいいのでは、と僕は思っていました。それはそれで大事な機会提供だし。それで、初等科で講師の高橋さんだったり色んな人と出会って、「ああ、これを一生の仕事にしよう」って考えた人は、「じゃあ高等科で本格的にいきましょうか」っていう流れ。
初等科生で「選抜」をして、映画を嫌いになってやめてくような人たちも今までにいたと思うんですよね……それはその人の人生判断だから好きにしたらいいけど、映画丸ごと嫌いになったり、トラウマになるのはちょっともったいない。学校を嫌いになるのは、ある意味マトモだとも思うけど(笑)。
とにかく、一年間せっかく映画の学校に入ったのに、初等科を終えた後に、選抜に入れず、友人や家族に見せられる成果物がろくにないってのは、ちょっとさすがに残念だよな、と。もうフィルムじゃないし。

—18期からみんな修了制作を撮る方式が始まって、ちょうど二人がいらっしゃった19期は、本数が30本くらいあって。あれを三日間くらいずっと見続けたじゃないですか、講評のときに。ここ最近はずっとあんな感じになってるんですけど。19期から「これはすごいいいな」って思いました。あの方式がすごいはまったなと感じて、すごく良くて。今までは脚本で選ばれて、撮ってたんですけど。特に19期がそういうものじゃないのが多かったじゃないですか。ホンが。それこそ池田(昌平)くんとかもいたし。

三宅 そうだね、池田くんの作品に出会えたのは本当に良かった。

—多分今までだったら絶対選ばれて撮れなかったような人たちで、そういう人たちの修了制作を見る機会っていうのがそもそもなかったので。そういうものをあの量で見れて。あの体験は今でもよく覚えています。高橋さん、18期の作品は見られたんですか?

高橋 全部見てるかどうかちょっとわかんないな。待って、僕が15期で、あと何期やったんだっけ?

—初等科についてたのは19期ですね。

高橋 (18期は)セレクション上映でね、見たりはしたけど。でもだんだん思い出してきたけど、一つはもうフィルムやめるっていうことだよね。16ミリで修了制作撮るのやめるっていうことと、それと、そのシナリオで選ぶみたいなね、今ちょっと大志くんが言ってたこと。結局シナリオに囚われててどんどん硬くなってくみたいなことに対して、講師陣もみんな違和感を抱いてて。もっと軽やかに撮れるんじゃないの、っていう。でもフィルムで撮るっていうことがある以上は、一定のスタッフが必要で。一定のスタッフを全員が意思統一するためにはシナリオが必要で、っていう。その関係性がときほぐせなかったんだけど。まあもう、フィルムでやるのは限界だってなったところで、全員が撮るっていう方式にやっと切り替わることができて。
それで初等科におけるシナリオの扱いの比重がぐっと下がったんですよね。ホンを書いてこそ撮れるっていう、どうしてもそっちにいっちゃってたのを、いや、もうホンはそこそこで。とにかく撮っちゃいましょうっていう、シナリオに囚われずにどんどん撮っていくんだっていう方針に大胆に変わったわけですよね。それはすごいよかった。よかったと思う。シナリオとの付き合い方が逆に映画を不自由にさせてしまうような面が明らかにあった。
だから逆に今コロナのせいで本来の修了制作が撮れないんで。23期は撮れないんで結局、今のところ修了制作は在宅映画っていうことに切り替えてるんだけど、一方で自分が今シナリオを書いてるものをコロナ禍が去った後撮りましょうねっていうことで、シナリオ開発に結局時間をかけられることになってしまったんでね。4月から始めてまだやってるよね。5、6、7月と。シナリオ開発。
メールで送られてきたやつを僕がこう、意見書いて返したりしてるんだけど。どんどん皆シナリオで煮詰まっていくっていうかね。シナリオとのまずい関係がこう、時間をかけることによってまた生まれてしまっているみたいな感じがあって。本当にシナリオとの付き合い方っていうのは難しい。難しいけど、多分これ高等科にあがって、さっき三宅くんが言ってた、映画で食ってくみたいなフィールドに入っていくと、その付き合い方をどうクリアしていくかがまたね、分かれ道になっていくと思いますけどね。シナリオとの付き合いを本当悩んでいる人が多いよね。そこで挫折しちゃう人も多いと思うな。

三宅 どうせやってくと、絶対向き合わなきゃいけないことにはなるんですよ。それは僕自身が本当にそう。今年、コロナ禍の間はずっと、ホンの勉強を一からしたり、ホンを書いたりしてたんですけど。

高橋 ああ、そうですか。

三宅 はい。だから、いずれ向き合うということを見据えた上で、初等科の間は、とにかく映画づくりの面白さ、現場で俳優と一緒にモノを作る面白さ、目の前にある風景を発見してそこから映画を立ち上げる面白さ、そういうことを経験できる期間にする、それをメリットにするしかないんじゃないかな、いうふうに考えてましたね。デジタルになっちゃった時点で。

高橋 うんうん、そうですね。

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—三宅さん、最近の修了制作はそんなに見ていらっしゃらないですか?

三宅 うん、もう何年も見れてないんだけど。なので、僕が講師の立場で話せるのは、自分の担当期にいた穐山さんが劇場公開をしたり、あと19期の城(真也)くんも今年劇場公開したでしょ。あと池田くんも、去年韓国の全州(チョンジュ)映画祭に行ったら、池田くんの短編がいろんな国の短編と一緒にプログラム上映されていて。それはとても嬉しかったな。
録音部の18期の戸根(広太郎さん)が同じマンションに住んでるんで、たまに会うんですが、彼の同期は今でもよく集まって映画の話をしたり、スタッフとして協力しあっているみたいで、いい感じだな、と。19期は、同期同士の繋がりはよく知らないけど、今でも数人とたまにメールで映画の話をしたりしています。何人かは、自分の現場にも来てもらったりしてますね。

高橋 劇場公開までいったのは、じゃあ、穐山さんと、城くん?

三宅 あとは、本人がどう思ってるか知らないから名前を挙げていいのかわからないけれど、18期に一瞬だけいた小林勇貴氏の活躍ぶりはすごいですよね。最初に提出された課題短編、めちゃ凄かった。劇場公開で言えば、そんな感じでしょうか。

高橋 ふうん。ちょっとしばらくは途絶えてたんだよね。劇場公開までもってくの。

—そうですね。ただ、今年になって下社(敦郎)くんが。15期で入った。

高橋 ああ、そうかそうか。下社くんもやってるんだね。

—今ちょうどやってますね。あれも穐山さんと一緒でMOOSIC LABで、長編が。

高橋 あとあれでしょ、『種をまく人』だっけ。9期の。竹内(洋介さん)が久々に。

三宅 あっ、『せぐつ』の!

高橋 そうそうそうそう。あ、よく知ってますね。

三宅 初等科入る前に、先輩たちの作品は結構見てたんです。

高橋 竹内は、結構前にテッサロニキ(国際)映画祭で賞をもらって、でもなかなか公開できなかったんだけど、ようやく公開できた。

—だからしばらくは(劇場公開は)空いてますね。

三宅 時代とか、運とかタイミングの要素もあると思うから。こればっかりはどう考えても実力だけじゃない。でも敢えて言うなら、穐山さんはものすごい頑張り屋で、普通に尊敬したな。フルタイムの正社員として働きながら、課題も全部出してたし。彼女は、一風変わってるけど間口の広い話を書けるし、あとはプロデューサー的な能力が高い人だという印象があります。

高橋 結構職場でもそういう責任あるポジションにいたんだよね?

三宅 だったかと思います。

高橋 なんか大人のこう、なんかビジネスを仕切れる人の強さを感じるよね。

三宅 例えば企画の相談を受けた時とか、一歩客観的に引いても話せるので、マトモにやりとりができますね。

高橋 その社会性の高さを映画作りにもってったっていう感じだよね。

三宅 劇場公開した『月極オトコトモダチ』は、事前に少しだけ相談を受けていたんです。初めての長編だけに、結構気合いの入った、カロリー高めの座組みでやろうとしていたので、僕は、撮影日数が短くなったらやりたいことやれずに映画ごっこで終わるんじゃない?って勝手に危惧しまして、やりたいことをシンプルにやる体制がいいんじゃないの?なんて言ったんだけれども、「一晩考えました」と。「私、ちゃんとした映画やりたいんで、がっつりスタッフ組んでやります」みたいな返事で。覚悟あるなあ、でも大丈夫かなあと思っていたら、ちゃんとそれをやり遂げて、劇場公開までもっていった。アッパレ!っていう感じがしました。

 

—ここ最近、(劇場)公開まではいかないにしても、初等科の修了制作でなんかにひっかかったりとか、久々増えていて。

三宅 あ、そうなんだ。

高橋 映画祭ってこと?

—はい。21期だと常間地(裕)くんとか小林(瑛美)さんとか、22期もいくつかあたってきてるので、この方式(初等科の修了制作を全員で撮る)に切り替えてから。なんでしょうね……よくこう、映画美学校らしさ、みたいな。映画美学校っぽい、って言われてたことがよくあったじゃないですか。

高橋 あったね、うん。

—言わんとしてることは、その当時はなんとなくわかったんですけど。なんかその、だんだん「ぽい」っていうものが僕らの時代でももう実際と違ってきてて。ざっくりなんかこう、ホラーっぽいイメージがあった時とか、もうちょいドロドロしてたイメージが最初の方にはあったみたいなんですよ。映画美学校というと。

高橋 えっ、ホラー?だったの?

—いや、ホラーっていうか。

高橋 シネフィルみたいな感じ?

—シネフィルで、でもホラーみたいなイメージもあったみたいですよ。

高橋 あっ、そう。そんなホラー多かったっけ?

—講師の印象もあると思うんですけど。ただ、また最近、そのイメージも一新されてきてるのかな、というか。なんかそれは、見ていて面白いなとすごい思うところです。ただ、今年の23期(初等科)は面白いことになりそうな気がちょっとあったじゃないですか。課題とかを見ていても。で、結構修了制作が楽しみだな、と思っていた時期にこれ(コロナ禍)だったので、色々思うことはあるんですが。高橋さん、リモート映画を撮られたんですよね?

高橋 呼び方が難しいよね。リモート映画っていうと全編Zoomみたいなことになっちゃうけど。そうじゃないもんね。一応、あんまりいい呼び方とは思えないけど「在宅映画」と。とりあえず言っていたけど。自分一人で、まあ役者さんどうやって出すかとかはまあZoomを使ってとかしかないと思うけど。どう工夫して映画つくるかってことですよね。もちろんリモート映画も、その中に含まれると思います。

—どうでした?撮ってみて。

高橋 ああ、まあ、今編集中ですけど(※7/2時点)。やってみて、すごい面白かったよ。音合わせが大変だなっていうのを、今。結局Zoomで俳優さんがしゃべって、それをiPhoneで画面撮りしてるんだよね。それで編集をやってるんだけど、元々Zoom画面自体の声と画は合ってないじゃない。微妙にセリフがずれてるでしょ?遅いでしょ、ちょっと。だから、ショット毎に全部、音を貼り替えないといけない。画面撮りした音はやっぱり音悪いから使えないんで、それは全部消して、Zoomで録画してた時のより音質がいいやつを音声トラックだけこう、びーっと貼ってるわけですよ。画面撮りした画に。ものすごいめんどくさい(笑)

一同 (笑)

高橋 で、上手い人たちは巧くやるんだけど、僕はすごい時間かかっちゃうんだよ。波形みながら合わせるのを1カットごとやってるの、本当にやだ。どうやっても合わないんだよね、あれね。もう動きが違う。ずれてるんで、頭だけ合わせればオッケーって話じゃないから。余計ややこしいよね。微妙にこう、ずれ始めたのをちょっと直したりとかね。

—あ、22期の高等科の子達が(在宅で)撮ってきたのって、Zoomを使ったのって一人もいなかったんですよ。寺西(涼)くんっていう子がいるんですけど。彼がやったのが自宅を真っ暗にして、セットみたいなのを作っちゃって、あたかも外にいるかのようにして、自分を合成して、2人出てるんですよね。

三宅 はっはっは(笑)面白そうだね。

—いや、かなりすごくて。話はよくわかんないんですけど、家の中を作り込んで、ひたすら自分一人でSFっぽいものを作って。元々そういうのが得意な子ではあるんですけど。あれはすごかったですね。

高橋 それは何分くらいだったの?

—14分くらいです。万田さんとかもなんか、褒めてましたね。

高橋 あ、万田さんも見たんだ。

—見ました見ました。今やりたいことがあるけれど、それができない代わりにやってる感じのものって結構リモートだと見る気がしていて。この手段でしかできないことみたいなものがあんまり見れないなと思っていた時に、寺西くんのは色々背景も含めて「これぞ!」という感じがしましたね。ああいうものも生まれるんだな、って。あと、万田さんが立教(大学)でもすごい面白いのがあったって言ってました。色んなものが生まれるんだな、と。全然僕は、こういうのでどうやって撮るんだろうっていうのを全く考えられていないので。

高橋 初等科生からもシナリオの相談もらったよ、在宅映画の。

—10本くらいは出るんじゃないかなと、思うんですけどね。

高橋 なんだっけ、名前忘れちゃった。映画美学校生だったんだけど。金沢の映画祭(※カナザワ映画祭2016)で評価されて、「期待の新人部門」で評価された。誰だっけ。

—大野(大輔)さん、ですか?

高橋 そうそう、大野くん。僕が担当した期だから、13期。13期って中瀬(慧)くんがいたよね。

—中瀬くんです。

高橋 ああ、じゃあそうだ。

—『さいなら、BAD SAMURAI』(大野大輔監督)ですね。

高橋 そうですね。結構撮ってるんでしょ?

—結構撮ってるみたいですね。……そろそろ、こんな感じですかね。うん。

三宅 大丈夫?映画美学校として聞かなくちゃいけないことが聞けたなら大丈夫ですけど。

—すごくよかったです。

 

2020/07/02 インタビュー:松本大志/構成:浅田麻衣