保坂大輔さん×三宅唱さん
受講生として映画美学校に飛び込んで、プロの作り手となり、やがて講師として映画美学校に帰ってきた人たちがいる。3つの風景を経てきた彼らは、生まれ変わろうとするこの学校に、何を思い、何をもくろむのか。フィクション・コース高等科を受け持つ保坂大輔と、本年度から同コース初等科を担当することになった三宅唱に聞いた。
「で?」が今もつきまとう
三宅 保坂さんは、何年に入学されたんですか。
保坂 2001年ですね。三宅さんは?
三宅 ちょうど5年後です。2006年。保坂さんが入学した頃は、札幌で『EUREKA』(青山真治監督)とか『害虫』(塩田明彦監督)を観てました。
保坂 当時はクラスの中から選考された企画脚本をみんなで作品にしていくというカリキュラムだったんだけど、自分たちが16ミリで撮って編集したものがユーロスペースで上映されるっていうことが、まずかなりの魅力だと思ったんですよ。その後の保証は何もないんだけど(笑)。
三宅 わかります。自分たちなりに手探りで撮った映画を、映画祭などに応募するのは「天下一武道会」みたいな感じですけど、それとはまた別の次元で、映画美学校で学ぶということには「精神と時の部屋」感がありましたよね(笑)。そこを経れば速攻で「ナメック星」に行けるんじゃないかっていう。
保坂 実際に入ってみて、世の中にはこんなに強い奴がいるんだ!って思いましたしね。
三宅 「オラ、わくわくすんなあ!」って思いましたよね(笑)。
保坂 しかも、映画美学校に入る前から自主映画を作ってきた経験者ばかりが評価されるわけではない。
三宅 そうなんですよ。僕も何本か撮ってはいたんですけど、全部白紙に戻されたなという感じがありました。
保坂 下手に映画を観まくってしまうと、無意識のうちに「あの映画みたいな感じで」って真似っこしちゃうんですよね。その「真似っこ」が講師陣にはことごとく見抜かれた。「で、何なの?」って。
三宅 「で?」っていう問いが、自分にはすごく大きかったなと思います。僕は西山洋市さんのクラスだったんですけど、途中から多くの人がある傾向に流れて、だんだん「ネタ見せ化」していったんですね。そしたら西山さんが「……で、みんなは本当にこれがやりたくて映画をやってるの?」って。もちろん、そのままやり通す人もいたけど、俺は「違うかも」って思ったんですよ。楽しいけど、これを一生やりたいわけではない。
保坂 すごいな、西山さん。俺、今、受講生にそんなこと言えるかな(笑)。
三宅 「切実なの、それ?」「それやらなきゃ、死ぬの?」っていうようなことを言われましたね。もちろんそこまでの思い入れを必要としない映画もあるけど、僕はそこで完全に筆が止まったし、自分の中にもうひとりの「リトル三宅」が生まれました(笑)。何を書いても「それ、何?」「ほんとにこれでいいのか?」っていう自問の連続。
保坂 僕も西山さんのクラスだったので、言われましたよ。プロレスを題材にした脚本を書いていたんだけど「プロレスの本質って、何かな?」って。筆、止まりますよね(笑)。
三宅 でも、それがうれしかったんですよ。本質って何だろう、って問い続けた先に、自分なりの何かが見えた時の気持ちよさというか。ものを作ることの快感は、そこで覚えましたね。あと単純に、そこまで観た上で、言葉を与えてもらえたというのが、僕の中では大きかったです。「あのカットのあの小道具はなぜあそこに置いたの?」「なんでこのカットはカメラここなの」みたいな、とことん具体的な指摘がある。これってやっぱりうれしいんですよね。映画って「作ったら完成」では決してないし。観られる、ということにおいて、かなり豊かな学びの場だったと思います。だから講師としては、「なにをどう観て、なにを言うのか」が大きな仕事だろうなと考えています。
とにかく、撮ってみる!
保坂 課題が出されるたびに、みんなで互いに手伝いあうじゃないですか。それが楽しかった記憶があるなあ。講義と撮影を含めたら、毎日のように映画美学校に関係あることをやっていた。昼間の仕事が終わったらとりあえず学校に行く、っていう行動パターンになりました。
三宅 僕も完全にそうでしたね。友だちの課題とか、手伝いたくなっちゃうんですよ。
保坂 1回でも多く実戦を経験したい、っていうのもあったし。
三宅 コンピューター・ゲームの最初の頃って、経験値を上げやすいじゃないですか。レベルアップしやすい。あの感じですよね。いろんな現場で、いろんなことを経験しながら、「なるほど、自分の時はこうしよう」って考えたりとか。
保坂 今年からカリキュラムが変わるから、そういう切磋琢磨が、より、しやすくなると思いますね。
三宅 選ばれた何本かをみんなで撮るのではなく、全員が、自分の監督作品を1本ずつ撮りあげるという。そこに至るまでの過程も、とにかく課題が出されてがんがん撮ってくるというカリキュラム。
保坂 自分が何を撮りたいのかははっきりしないんだけど、でもとにかく映画が撮りたい!っていう時期があるじゃないですか。そういう人たちにとって、このカリキュラムはいい機会になると思いますね。あと、これは講師をしてみてわかったことだけど、受講生の提出物を観ると、それぞれに「才能の芽」みたいなものを感じるんですよ。本当にダメな人って、案外いないんです。誰にもみんな可能性がある。みんな、原石なんですよ。それに入学する時って、みんなが「自分は天才だ」と思ってるじゃないですか(笑)。
三宅 思ってますね。僕も思ってました(笑)。だから、まず全員が実際に撮ってみることで、わかってくることがあると思う。別に天才である必要もないっていうこととか。1人でアート作品を生み出すのとは、全然違う才が求められるのが映画だと思うから。集団としてどう勝負するのかみたいな、チームスポーツ的な側面も大きいわけで。それはやっぱり学校という場所でこそ試行錯誤できることかなと。
保坂 僕はそういうことを痛感しながら初等科を終えて、高等科で修了制作の監督に選ばれて、その作品を持って「ゆうばり映画祭」に出て準グランプリを取ったんです。そこで知り合ったプロデューサーの方に、映画のメイキングの仕事をいただいたのが、映画美学校を出て最初の仕事だった。
三宅 僕は「CO2」(※シネアスト・オーガニゼーション大阪。自主制作の企画を広く募集して助成作品が選ばれる)に2年ぐらい挑戦して、落ちて、3年目でようやくそこで撮れる機会がめぐってきて。それを、たまたま俳優の村上淳さんが気に入ってくださったので「じゃあ次は一緒に作ろう」っていう、とてもイレギュラーな流れでした。あとは、映画美学校の先輩や後輩の現場を手伝ったり、人づてで、テレビや企業映像の現場で働いたり。
保坂 つくづく、いろんなタイプの人間が集まる場所ですね。
三宅 それに、修了してからも、学校に来れば必ず誰かしら、いるわけですよ。特に今は他コースが多いから、例えばフィクション・コースの受講生とアクターズ・コースの受講生が一緒に何かを作っている光景を見かけると、いいなあと思いますね。
「原石」同士、揉まれたい
保坂 これが正しいことなのかはわからないけど、僕が講師を引き受けた一番の理由は、作り手として成長したいからなんです。「教える」というよりは、一緒にまみれて作っていきたい。それに、さっき「原石」の話をしたけど、僕らもまだ「原石」な気がしません(笑)?
三宅 原石です。全然、原石ですね。
保坂 受講生だった頃も、講師になってからも、原石同士が教室でぶつかりあうことで、初めて自分らしさみたいなものを見つけることができた気がするんです。同級生の中で揉まれることで「自分はこういうことがやりたいんだ」っていう発見があった。だから僕は、受講生たちが作り上げてくるものを観て、おびやかされたいんですよ。「こんな新しい表現があるのか!」って。
三宅 同意です。もちろん映画史とか、現場において「映画はこうやって作るんだ」という知識も大事だけど、それだけじゃ満足できないというか。今はカメラさえあれば誰でも撮れる時代だからこそ「こんな方法もあるんだ!」という発見を、みんなで探求したいんですよね。
保坂 だから「全員が自分の作品を1本撮る」というカリキュラムは、面白いことになりそうな気がするんですよ。さっき三宅さんも言っていたように、今は誰でも撮れるからこそ、何をして「映画」と呼べるのかが難しくなっているじゃないですか。
三宅 若いミュージシャンが自分たちで撮ったPVが、めちゃめちゃ巧かったり面白かったりしますよね。ただ、映画はそれとは違うぞ!っていうことを、思ったりするんですよ。何がどれくらい違うのか、そこにどれだけの価値を置くのかは、僕自身もまだ、悩みどころではあるんですけど。
保坂 撮り慣れていない人間が撮ろうとすると、脚本通りに撮ることしかできないですよね。でも脚本には書かれていないところで、芝居が立ち上がってくることがあるじゃないですか。そういう発想を、僕はこの学校で学んだ気がするんですよ。
三宅 僕もそう思います。ただ、この感覚を共有できるのは、やっぱり一度でも自分の作品を撮ったことがある人同士、なんですよね。だから、まずは初等科で「撮る」っていうことをとにかく身をもって体験してもらって、積もる話はその上でしたいなと思います(笑)。
(取材・文:小川志津子)