保坂大輔さん
帰ってきた人、である。11年前、「第5期生」として映画美学校で学び、卒業後は主に脚本家として活躍している保坂大輔。この1年、久しぶりにこの学校で、今度は教える側として受講生たちと相まみえた。自らも揺れながらその道をゆく35歳。その実感を聞こう。
この学校はムーブメントだった
まずは、映画美学校の受講生だった頃の話を聞かせてください
当時の映画青年にとって、映画美学校は絶対意識せざるを得ない存在だったんですよ。黒沢清さん、青山真治さん、篠崎誠さん、塩田明彦さん。日本映画、ひいては世界の映画の最先端をゆくスターたちが教鞭をとっている、という印象でした。そのムーブメントに自分も乗りたい、と思ったんですね。
授業では、どんなことを学びましたか
「学んだ」というよりは「身を持って知った」という感じでした。映画については人それぞれ、様々な意見があるんだなあと。その、自分とは違う価値観に触れることによって、むしろ自分がはっきりと見えてくるというか。もちろん異論を食らえば戸惑うし、悩みもするんだけど、でもそこで踏んばることで生まれる表現はやはり強いと思います。その人がほんとうの意味で自分を発見して、たどりついた表現。「人に何と言われようと、俺はこれがやりたいんだ!」というような。
保坂さんは、それをお持ちでしたか
正直、1年目は混乱しました。先生が書いたレジメを何十回も読み返しては、自分のベクトルをそこに近づけようと必死になったり。ただ、今は、自分が出すぎだっていうくらい出てると思います(笑)。生徒にもよく言うんですけど、まずは「心のパンツを脱ぐ」ことから始まるんですよね。普段はどうも恥ずかしくて言えないんだけど、いつか言ってみたい言葉ってあるじゃないですか。常識やプライドが邪魔をして、実行に移せない行動とか。それらを登場人物に語らせ、動かすことで、自分にしかできない表現に近づけるんじゃないかと。
受講生と相対しながら、かつての自分と重ねたりはしますか?
します、します。常にそうです。あの独特の、自分のことを天才だと思っている感じとかね(笑)。
思っていましたか
思っていましたね。変な話ですけど、僕が撮影部として参加した『人コロシの穴』(02年、監督:池田千尋)という修了作品が、カンヌ映画祭のシネフォンダシオン部門に正式招待されたんです。でも、僕らはまるで驚かなかった。世界の最先端の映画学校で勉強している僕たちが撮った映画が、カンヌへ行くのなんか当たり前だと、本気で思ってました(笑)。
僕を脅かしてほしい
その頃から今に至るまで、映画を作ることの喜びは、どんなあたりにあるとお考えですか?
一度、彫刻を彫ったことがあるんですよ。四角いヒノキの柱みたいなものを渡されて、ある程度の設計図を想定しながら彫りはじめるんです。だけど、木ってやっぱり生き物だし、木目や湿気も影響するので、必ずしも思い描いた通りにはならない。映画作りも、それと似ているなあと最近気づいたんですね。自分の頭の中にあるイメージを再現するのが映画作りだと思われがちだけど、そうじゃない。自分が思ってもいなかったものや、まるで観たことのないものを、観たいし作りたいと思うんです。
脚本家としても、そうですか
そうですね。死ぬまでに誰も観た事のない物語を一つでもどんな物語をどれだけ残せるか、みたいなことは常に考えます。それにこの学校の高等科で修了制作の監督を経験して、その後たので商業でも監督をする機会に恵まれたので、、プロデューサーに「脚本がわかりやすい」といわれたりしますね。監督がこのホンをもとに何を考えるかを、想定しながら書けるので。
講師のお仕事は、いかがでしょうか
まだ「楽しい」とか「苦しい」って言えるほどの余裕はないです(笑)。以前、高橋洋さんがおっしゃっていたんですが、子どもの頃に『怪奇大作戦』を観たのがトラウマとして残っていて、大人になったらそういう作品を作ることで仕返しを果たしたかったそうなんです。僕も、それに近いかもしれない。10数年前、この学校で植え付けられた何かを、大人になって植え付け返してやりたいというか。
教えることの面白み、というのはありますか
僕には「教えている」という実感はないかもしれません。もちろん、今の僕には映画美学校で学んだことだけでなく、プロになってから覚えたたくさんのことが蓄積されているわけですから、これをきっちり伝えないとな、とは思っていますが。でもどちらかと言えば僕は「教える」というより「一緒に高め合っていこうぜ!」という感じ。受講生同士はもちろん、受講生と講師、あるいは講師同士の距離が、こんなに近い学校も珍しいと思うんですよ。そして講師自身が、決して、安心できる場所にはいない。高みから何かを教えるのではなく、自分もグラグラの地平に立ちながら、共に本気で悩みながら授業を進めている。そうやって互いに忌憚のない意見を言い合うことで、お互いを高め合える場になればいい。そういう場に身を置いていたいなと思います。
受講生とは、同じ作り手同士として、相対するわけですね
僕は、もっと受講生に脅かされたいんです。「こんな奴が出てきたか、これはやばい!」って。講師としてより、作家としての自分を脅かしてほしい。変な言い方ですけど、僕自身もまだ、まったくの原石だと思っているんですよ。彼らとぶつかり合うことで、僕自身も磨かれていくんだと思う。そういう表現に出会えることが、今はとても楽しみですね。
(取材・文:小川志津子)