山本十雄馬さん
山本十雄馬さん
(フィクション・コース第21期初等科生)
映画美学校に入る前は建築を学んで建築専門誌の編集者をやっていたとのこと。映画とは無縁の生活を送っていましたが、入学後は何でもみてみようと、この1年は文字どおり、死ぬほど映画をみたそうです。映画とは距離を置いて生活してた期間が長いからなのか、建築に携わっていたからか(?)ごく客観的に、論理的に組み立てながら話をしてくださいました。
映画美学校に入ったきっかけ
ーー映画美学校に入ったきっかけは?
僕は大学まで建築と土木を勉強してきまして、卒業後に建築系の出版社に入って、建築専門誌の編集者をやっていたんです。建物の竣工写真というと、外観であったり、リビングや個室のような内観を撮影したものを想像されると思うんですけど、その映像版と言いますか。竣工映像という、建物の中を映像で撮影して、写真だけでは見せられない建物の臨場感みたいなものを、動く映像で見せるということを会社員時代にやっていたんですね。動画編集と言ってもスライドショーみたいなレベルですけど。それで、ものすごく単純に言ってしまえば、自分が雑誌で扱っていた紙ではなくて映像で表現してみたいっていう……その中で映像に興味を持ち始めたっていうのが、まずはきっかけでしたね。
最初は何かPVみたいなもう少し無機質な「映像」というものに興味を持ち始めたのが入り口で、でもPVを学ぶ学校なんてないでしょ、っていうことで、色々調べて行くと、どうやら「映像」を学ぶっていうのは何か「映画」を学ぶっていうことと、ニアリーイコールかもしれないとそのときは思って。それで映像をどこかで学びたいと思うようになりました。そこで初めて映画の学校があると知って、それまで映画は年に数本みればいい方だったんですけど。だから映画の学校、色々ありますよね。イメージフォーラムのワークショップとかENBUゼミナール、ニューシネマワークショップとか、あとは日芸や藝大があったり、でも大学っていうのは4年制ってことで最初から選択肢になくて。何か他のものであるかと探していて、結局その、安く、短期間っていうのが決定的で(笑)、この映画美学校という選択になりました。講師の方々を知っていたのも大きいです。
映画美学校で学んだこと
ーー映画美学校に入られる前は、映画制作の経験はなかったわけですよね。 入学してからの1年間で、映画のつくり方というのは習得することができましたか。
いったら人によるかもしれないですけど、何でしょうね。でも技術実習やグループ実習があって、1年間っていう短い期間ですけど、録音、照明、撮影とか、あと演出、制作のような役割をローテーションでやって、作品を撮り上げるっていう課題と実習を年に何回かやっているので、基本的な技術はみんな身につくと思いますね。そもそも映像なんてみんな今iPhoneで撮れちゃいますけど、プロになる、にあたっての基本的な部分は学べるので、ある程度は撮れると。あとは脚本……と思いますね。
ーー脚本が一番のハードルでしたか。
もともと何かお話を考えるというのは好きで、物語を構成して、紡いでいくっていう作業自体は、あまり抵抗なく、考えられたんですけど、ただそれを……、自分の中にあるうちは何でも傑作だということがあると思うんですけど、それを実際人に見せるっていう、個人課題をそれぞれ提出する機会が何回かあって、それを上映した時の反応に最初だいぶショックを受けました。誰もくいついてくれない、つまんないんだ……って(笑)。でもそれだからどうしていこうっていう、絶対面白いって思わせてやろうっていうモチベーションになったし、それはよかったですね。
伝えたいものが伝わるものになるまでの何か技術的なハードルがあって、自分の中にある何かおぼろげなイメージみたいなものを人に伝えるっていうのは、それは、感性だけでできるものではないってことが講義を通してわかりました。やっぱり技術的な、撮影だけじゃなくて、カット割りだったり、構図だったり、アングルや話の展開だったり、何かセリフの1つ、きっかけみたいなものだったり、本当はすごく技術的なテクニックの必要なものだから、それを純粋無垢に、自分が面白いと思っているから面白いだろうってやるのは、間違いなんだと気づかされたのは大きかったですね。個人課題を出すと、大きなスクリーンで上映して、ほかの受講生や講師陣の方がいるので、講師の方それぞれが脚本のこの部分が全然面白くないよとか伝わらないよとかそういう意見を、すごく投げかけてくれるので、それを聞いてああそうなんだって、反省して学べるっていうんですかね。
一番印象に残っている講義
ーー一番印象に残っている講義は何ですか。
印象に残っている講義ですか。そうですね……(長考)。 でもやっぱり何といっても短編の講評ですね。そこがすごく特別な時間でした。僕は個人課題の講評っていうのも、確か2回くらいしかやっていないんですけど(注1)、その2回が本当に、価値観が変わるというか、すごい転換させられますね。その時に言われた言葉っていうのがずっと頭の中で残っているというか。作ったものに対するリアクション、初めて観客(講師陣)の生の反応をもらったというか。それがその観客の1人とこれだけ向かい合って、議論するっていうことが、すごく緊張するし、つらいし、けど、なんか嬉しいっていうか、すごく複雑な気持ちの中でそれをやったのが、このカリキュラムの中でもかなり大きいと思います。
注1:個人課題は、修了制作も合わせて5回提出の機会があります。提出しなくても特に呼び出されることはないので、個人の状況に応じて提出するしないは選択することができます。
ーー最後の修了制作も提出されて、こちらはどうでしたか。
比較的早くシナリオを書き上げていた方だったので、高橋洋さんに読んでいただく機会がたくさんできて(注2)、それが今回すごくよかったです。5回くらい読んでいただいて、しかも高橋さんはあれだけ忙しいのに、ちょっと独特なのがfacebookに掲示板というかグループっていうんですか、そこのタイムラインに投稿するとそれを高橋さんが見て、どこの隙間の時間で見てらっしゃるのかわからないですけど、シナリオ上げた らもう本当に1時間たたないくらいで赤字を入れて返してくれるんですよ。高橋さんが、自分のところに何か書き込んでくれたっていうのが、まず最初は嬉しいっていうのがあるし、しかもそれを直したら、またその日中に連絡を返してくれて、またやって、またやってっ ていうのを何回も繰り返して。こんなにまめに面倒を見ていただけるのかと、その時にはいい学校だな、と思いました。
注2:修了制作は担当講師がそれぞれ付いて、シナリオなど相談することができます。
入学後の変化
ーー入る前と後で何か変わったことってありますか。
難しいですね、入る前と入った後ですか。ああでも本当に、もうすべてが変わったというか、見方が180度じゃないですけど大きく変わりましたね。やっぱり、なんでしょうね。環境が変わったということでしょうかね。自分が身を置いている環境が大きく変わったっていうのが、本当に。 映画の業界に、つま先くらいを踏み込んだかな、と思います。というのは、やっぱり、周りにいる人たちが変わって、自分の作った作品がだいたいどれくらい、自分の実力がじゃあこの映画の業界の中の、端くれの中のどれくらいに位置しているのか、自分の周りにいる人たちがどれくらいの位置にいて、もっと先にいる人たち、商業でやっている人がどれくらいの位置にいてという、そういう自分の中に分布図、地図みたいなものがおぼろげながら描けるようになったという意味での進歩はあるかな、と。自主映画をやっていく上で、そこがやっぱりまずはスタートラインのような気がします。そういう座標軸に自分をどう位置付けるか。そこにやっぱり、まずは映画美学校に入ったっていうことが最初の1歩だったかな、という感じがします。
(インタビュー・構成/松山にき)