フィクション・コース第11期を修了した佐野真規さん、冨永圭祐さん、内藤瑛亮さん、山形哲生さん。内藤さんが監督した『許された子どもたち』(現在劇場公開中)でも現場を共にし、修了して今なお交流を続けるみなさんに、お話をお伺いしました。(2020/07/11インタビュー)

フィクション・コース第11期修了生インタビュー〜佐野真規さん×冨永圭祐さん×内藤瑛亮さん×山形哲生さん〜(1)はこちら

photo1写真左上:佐野真規さん 左下:冨永圭祐さん 右上:内藤瑛亮さん 右下:山形哲生さん

—今映画美学校内でもコロナに対する勉強会を開いたり、撮影に向けてのガイドラインを作成しようとしています。感染症について勉強しているんですが、例えば飛沫は実は重いから床に落ちてしまうから、床に座ることは望ましくない。でも床に座るなんてこれまでは日常的にはしてきたことだから、日常生活習慣すらも変えなくちゃいけないってところが難しいなと思います。15分マスクなしで喋ってしまうと濃厚接触といわれてしまう中、やはり対面で撮りたいという願いもあるので、そことの戦いなんですけど‥‥‥

内藤 大変そうだなあ。

冨永 講師陣を我々は知ってるだけにね。大変だろうなっていうのはすごいわかります。

内藤 言うこときくかなあ、あの人たち、みたいなのはあります(笑)

佐野 はっはっは(笑)

内藤 見通しがつかないから難しいですよね。

冨永 それでいうとね、日本においての死者数だってインフルエンザとそんなに割合が変わってないんじゃないのかって意見もあったりするんで。多分ワクチンができちゃえば、変わってくるんだろうなって気はしてるんですけどね。

山形 罹っても別に大丈夫、という認識に変わる。

冨永 そうそう。それ(ワクチン)ができれば元通りというか、それなりに近い距離での接触のある芝居とかでも多分できるようになるんだろうなって思ってはいるんだけど。そうなったら(今までと)同じような映画が作れるんじゃないかっていう期待はしてるんですけどね。それまでが問題なんだろうなって。

内藤 最悪かかっちゃっても、仕方ないんだって言える現場じゃないとまずいなと思って。そうじゃないと隠蔽しちゃう人が生まれる。さっきの怪我した俳優みたいに「これ言ったら現場を止めちゃうな」って黙ってしまう。でもそれは俳優の責任ではなく、黙らせてしまった僕の責任。キャストやスタッフ自身に気を遣わせる現場だと、症状があったとしても言いづらくなる。実際、日本映画の現場ってすごくお金がなくてギリギリでやってるから、そんなことが起きたら破綻しちゃうじゃんって分かるんだけど。それで個人を責めないようにしたいな、と。

冨永 正直ね、商業映画ほど「中断したらもうおわりだ」感がありますよね。

内藤 実際、困難な状況ではありますね。でも、隠蔽を強要する業界じゃあ、将来的にもっと酷いことになると思うんですよね。
違う観点としては、コロナ以降の世界として描くか、どうかって問題がありますね。リアルな現実を撮るっていうときにマスクをつけてないとおかしくなる。マスクをつけてないとある種フィクションですよっていうのが一個今までより乗っかっちゃう。

冨永 そうですね。かといって、マスクしてたら誰かわかんないですもんね。

山形 俳優さん的にはね、顔を見せられないっていうのはちょっと厳しいですよね。

内藤 有名俳優になってくると余計難しいよね。観客も顔を観たいし。

 

—23期が本来の修了制作が撮れないので、ひとまず在宅での撮影となったんですが。先日、(フィクション・コース/脚本コース講師の)高橋(洋)さんが「自分が撮る!」と在宅で撮影をされて、その動画を拝見したんですけど。今どうしても制約を課せざるをえない状態ですがすごくポジティブに撮っておられて、すごいな、と思いました。

冨永 高橋さん、変わってないですね(笑)何が起きてもね(笑)

佐野 はっはっは(笑)

冨永 東日本大震災の時もね、自分が映画途中で見れなくなっちゃったから、地震に対してキレるっていう人でしたから。

内藤 そうだね、キレてた。

佐野 「地球クソ野郎」っておっしゃってましたよね(笑)

冨永 めちゃくちゃかっこいいなと思いましたけど(笑)

—新しい映画、表現を探すっていうことでポジティブに撮ろうとしているのが、すごく高橋さんらしいな、と。

冨永 映画美学校にとっては(フィクション・コースは)毎年開講するものだから、そういうワクチンを待っていられないっていう状況っていうのはあるんですよね、きっと。今年は今年でやり方を考えて開講しなくちゃいけないっていう。

—そうですね。自分たちは学びを続けるんだという意識がすごく強いなと個人的に思います。24期前期もオンライン開講が決定して。ただ、オンラインというとどうしても画面越しになってしまうので「仲間づくり」という面では難しい面があるのかな、とは思うんですけど‥‥‥そこはずっと話し合っている課題ではありますね。みなさん、24期前期がオンライン開講だと聞いて、どう思われましたか?

山形 短編課題や修了制作はどういう形になるんだろうとは思いました。

—24期の修了制作は後期になるので、検討中ですね。現在23期がコロナで厳しくなってしまい、リモートでの撮影に切り替わりました。(※7月時点。現在あらためて対面撮影に向け準備中)。あと、従来通りの修了制作のシナリオも同時に作成しています。

山形 なるほど、そんな感じなんですね。

佐野 大変やな。

山形 結構ハードルが高いですよね。

冨永 正直自分なら撮れるのかって思っちゃうよね。

内藤 そうね、ちょっとゾッとするね。

冨永 ちょっと期待してるのが、さっき言ったように「もし自分だったら何も作れないかもな」とか思っちゃうんですけど、自分たちより下の世代だったらもっと柔軟に作ってくるんじゃないかっていう。

山形 なるほど。

冨永 うん。思いもつかないようなアイディアで、その期間にしかつくれなかったものを作ってくる人がいるんじゃないかっていう期待。で、ワクチンとかができてまた状況が変わってきたら、また違う「コロナ後」っていう作品が作られていくだろうとは思うんですけど。なのでそこに関してはそんなに絶望しないでやっていけるんじゃないかと思うんですけどね。とはいえ、リモート映画だけだとやっぱり飽きちゃうよねとは思うんですけど。

山形 そうですよね。

冨永 アイディア勝負になっちゃう気がするんで、それだと。芸人さんのYouTubeとか見てると、やっぱり芸人さんたちってリモートでも面白いことやれる。やれるんだけど、でもじゃあ「映画はどうなの?」ってなると、多分他にやり方あるよなって思いますし。

内藤 『search/サーチ』ってあったじゃないですか。ああいうパターンは増えるかもね。

冨永 そうですよね。

佐野 あれはコールセンターでしたっけ?

内藤 いやいや、自宅から。

佐野 あっ、そっかそっか。

冨永 自宅で、画面だけでFacebookとかで友人たちと繋がりながら‥‥

山形 コールセンターの人と電話だけのやりとりで展開していく映画はなんでしたっけ?

内藤 『THE GUILTY/ギルティ』。

佐野 ごめんなさい、僕イメージしたのそっちでした、失礼しました。

内藤 ハル・ベリーの『ザ・コール』もそんなようなやつだよね。電話だけで進む。

冨永 普通の映画見てる中で、そういう映画をたまに見ると、「ああ、面白いアイディアだな」と思うんですけど、そういうのばっかりがもしメインストリームになっちゃったら、それだけだと物足りんなって絶対思いますよね。やっぱり普通の映画が見たいって思う気がする。

一同 うーん。

佐野 まあ、企画開発とかね、オンライン講義でやるっていうのはできなくはないと思いますけど。実習とか、対面でやることのハードルが今までよりかなり高くなっちゃってるっていうのが課題ですよね。

内藤 でも逆に言えば、こういう状況でしかそういうの作ろうってことにならないから、それはそれで特別な経験じゃないかな、とも思いますね。それにこれから企画開発していく映画も変わっていくでしょうし。僕もいま準備している企画の一つはコロナ以降の世界設定で、俳優がマスクをつけたまま演じる想定です。そういう枠組みが生まれるのってこういう状況だからこそ。現状をポジティブに受け止めて考えていくしかないかな、と。

冨永 佐野さんがさっきちょっと言ってた、企画開発をより具体的にやるっていうのは良いんじゃないかと思います。映画美学校のフィクション・コースに関していうと、自分たちの頃ってヤバさも含めた映画の楽しさみたいなのを、教わるというより講師の姿を見て植え付けられていく感覚だったんですよね。今は違うかもしれないんですけど。

一同 (笑)

冨永 企画に関しても、みんな書いて出すんですけど、正直技術的な部分とかホンの書き方とかを教わった記憶があんまりなくて。もちろん教わるようなものではない気がしますし、自分自身で発見していくしかないっていうのは重々承知なんですが。オンライン中心の講義になるんであれば、結構そういうところに時間を使ってもいいんじゃないか?とは正直思います。よく分からず書いて提出して、講評を受けて直すんですが結局よく分からず直した結果、企画の大事な肝を見失ったり。

佐野 僕らのときの授業で、初等科のシナリオ講評が5分で終わって「じゃあ飲みに行きましょう」って言われた時があって。でもその授業では実践的な映画分析や名作シナリオのコピーが同時に大量に配られてたりもして。授業内では教わってなかったのかもですけど、それ以外の時間というのか、時代でもあると思いますが、当時は飲み会まで含めたコミュニケーションで学んでいくやり方もありましたね。そのあと配られたプリントの中に「飲み会は週1回までにしましょう」って書いてあって、愕然としましたけど(笑)。

冨永 ありましたね(笑)。実際、講義中よりもその後飲みに行った時の会話とかに発見があったり、講師ともより密に話せたり。フィクションコースで求められてたのって‥‥‥なんていうんでしょうね、「作家性とも違う、お前の持っている何かを書いて出してこい」的な感じだった気がするんですね。それは絶対大事な核みたいなものだとは思うんですけど、もうちょっと企画力だったりとかを磨く場としてオンラインを利用するっていうのもアリなんじゃないかなと思います。今ね、佐野さんと僕とか、あと浅田さんもたまに参加していただいてますけど、「ログラインピラティス」みたいなことをやってて。企画力が自分にないのを気にしていたので、企画をみんなで出し合って、ああだこうだ言って磨いていこうよっていうのをね、Zoomでやっています。それ、面白いんですよ。自分的にはすごく。なんかそういう感じでもいいんじゃないかなって僕は思うんですけどね。
自分の力でホンをかけるようになる人もいるんですけど、そうじゃない人も絶対いて。フィクション・コースは芝居の演出とか勉強する場として良かったんですけど、その後ホンがかけなくて悩むっていう人が結構いると思うので、コロナの状況下ではそっち方向に重点を置くっていうのもありなんじゃないかなって気はするんです。

山形 僕らの頃は、井土紀州さんがシナリオをロジカルに分析・解説していくタイプの人だったから、他の講師とは少し違ってました。プロのシナリオライターから話を聞くって意味では、井土さんは実践的アプローチをされる方だったかもしれないですね。

冨永 実際にあった事件とかからフィクションを考えるっていう方法だったりとかは井土さんから持ち込まれた感はあったよね。

山形 そうですね。はい。

冨永 そういう手法とかを知ったり、学ぶ機会にもなるんじゃないかと僕は思います。そうすると映画美学校から生まれる作品も結構変わってくる気がしていて。

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—確かに、何回か私も(課題の)講評を見たことがあるんですけど、「自分の内面からひねり出せ!」といった講師からの言葉があって、ちょっとびっくりした記憶があります。

冨永 それはそれで大事な事でもあると思うんですけど。「内面からひねり出す」。自分自身の経験では、内面からひねり出して一個作った後、何も作れなくなったんですね。多分それはよくなくて。すごい才能があったのにその後撮れてないとか、諦めた人は山のように見てきたし、多分映画美学校の先輩方や後輩にもいると思うんですね。結構作り続ける事が難しくて、映画美学校、後に。でもやっぱり作り続けないとチャンスもないし、面白くないと思うので。そういう意味では、ひねり出す以外でも映画って作れるんだっていうことをぜひ教えていってほしいなって僕は思うんですけど。

一同 うんうん。

冨永 井土さんの方法ってそうじゃないですか。

内藤 そうね。自分の外側から持ってくる。

冨永 外側から持ってくるのでも映画って作れるよっていう。多分内面からの発想だけで作ろうとするとすごく大変なので。外から持ってきたものでも、自分の中から出たものが自然と反映されることは絶対にあって、それでいいんじゃないかって思うんですよ。

内藤 確かに、うちらの同期でも身を削ったような、自分の体験を曝け出した企画がめちゃくちゃ面白かった例はあって。でも確かにそのタイプの人、あんまりその後続けられてないですね。

佐野 うーん。

冨永 そうなんですよねえ。

内藤 面白かったけど。

冨永 多分、そんなものって生涯に一本か二本くらいなんじゃないかなっていう気はするんですけどね。自分の内面からひねり出して作るとしたら、ずっと抱えてるものが更新されていくとか、いろんな経験をされている人だと別かと思うんですけど、そういうものを表現したくて映画美学校に入ってきた受講生がいるとしたら、その一番出したい一個をバーって出した後は空っぽというか、何をやっていいかわからなくなると思うんですよね。なので、映画の発想源の選択肢はいっぱいあるというような事を、映画美学校でも教えてもらえると良いなーと思うんですけど(笑)

一同 (笑)。

冨永 脚本コースとの差別化も必要になってくるかもしれないですけど。僕がフィクション・コース修了した後で、脚本コースのTAをやっていたので、そこでより感じた部分でもあるんですよね。脚本コースの講義ってすごい実践的というか、より具体的だった。そういえばフィクション・コースもすごいシナリオを書いていかないといけないコースなのに、シナリオの技術については何も教わってないなって思ったんですよ。それもあったんですけどね。

内藤 ちょっと話変わりますけど、さっきパワハラの話が出てたじゃないですか。映画美学校の中でそういう映画の現場のパワハラ問題とか、どう対応していくかって講義とか話とかあるんですか?

佐野 アクターズ(・コース)は「俳優の権利と危機管理」っていう講義があって。内藤さんがさっき言ってくれたあの、「自分の身体が危ない」っていうときに、止める、とかもそうですけど。そういうことや、現場での権力関係などについて、最初にやるんですね。

内藤 ハラスメントの講習って、俳優よりも監督が受けた方がいいですよね。被害者になり得る俳優がスルースキルを学ぶよりも、加害者になり得る監督が学んで、気をつけないといけないんじゃないかって思うんです。

冨永 アップリンクの問題も、最近ありましたし。

内藤 ああ、そうね。

冨永 映画館だけの問題じゃないと思うんで。

内藤 うちらが現役の映画美学校の生徒だった頃って、松江(哲明)さんの『童貞。をプロデュース』がセンセーショナルに盛り上がってた頃で。僕も当時は観客として、あの作品を楽しんでいました。で『許された子どもたち』の夏編の最後の日、実景を撮ってる時に事件が起きて。(『童貞。をプロデュース』に)出演してる方が不満に思ってて、監督や配給の対応を抗議するってことが起きて。「そこまで深い傷だったんだ」っていうのを知って、正直驚いて。あの作品を楽しんじゃった自分自身にも罪悪感を覚えました。
作り手側が無茶なことを要望して、ごり押ししてやるっていうのが美徳として受け止められた雰囲気はあったな、と思っていて。さっきの「映画監督の無茶な話を武勇伝として、美談として受け取っていた」みたいに。この危険性は作り手側が意識しないと誰かを深く傷つけてしまう。俳優側が如何に自分を守ろうとしても、強い立場にある作り手側から要望されちゃうと、不本意でも断りづらいですよね。だから、こっち側が意識変えてかないとな、と思うんですよね。僕自身もハラスメントに関する講習は受けたいな、と思うし。
それこそ映画美学校で、ポール・ヴァーホーヴェン監督が講義をした時に一番感動したのが「セックスシーンで必ず絵コンテを事前に書く」という話です。で、「どこまで見せるのか、恥ずかしがらずに明確に提示して、俳優側に了解を得なくてはいけない。それは、胸を見せるのか、見せないのか、とか、キスがあるのかないのか、っていうのを事前にしっかり決めて、現場で急に変えちゃ駄目だ。なんで現場で変えちゃ駄目かっていうと、現場で急に変えて要望すると、俳優側にすごい不利なプレッシャーを与えてしまうから」と。要は監督の要望を飲まないと撮影が進まなくなって、俳優は嫌でも受け入れざるを得ない状況に追い込まれてしまう。「俳優をそんな風に追い込んではいけない」と語ってて。ある種無茶苦茶な映画を撮ってるような監督ですが、俳優のケアをしっかりしてるんだなー、って感動したんですよね。僕は、それから性的な場面の撮影時は、そのルールは守ってて。ちゃんと絵コンテ書いて話すようにしてて、俳優本人や事務所の方、プロデューサーにも。そのへんプロデューサーもずるくて、「俳優や事務所に断られるのも嫌だから、有耶無耶にしたままインして、現場で監督がうまいことやってよ」みたいな時もあって。「嫌です」と。「事前にちゃんと会って、俳優本人や事務所の人に絵コンテを見せて、コンセンサス取りたいです」って。向こうがNGだったら僕もそれはやりません、っていう話をして進めさせてもらいました。まずはこっち(監督)側が変わっていかなくちゃいけないな、と思うし。

冨永 現場の時点で監督自身が意識してなくても、結局監督と役者だと監督の方が上の立場になってしまうというか。どうしてもそういう状況になっちゃうっていう意味では、監督側がそういう意識を持ってないと‥‥‥

内藤 そうね。

冨永 防げないっていう。

内藤 そう、そこが怖いですね。こっち側は俳優の意見は受け入れるつもりでオープンでいるつもりだけど、無意識的に圧力かけちゃう時もあるし。それに監督がやりたいことって、得てしてキャストとスタッフにとってはストレスを与えることだったりするんですよね。だから、本当、さっき言ったアップリンク問題とかね、他人事じゃねぇなとはすごい思いますね。自分もまた、無自覚な抑圧者になっているんじゃないかって、常に考えないといけないですね。

佐野 アクターズ・コース、僕もTAやってた時に、オーディションの段階で、撮影で濡れ場があるっていう実習作品があったんですよ。それは僕も加害に加担した側に結局なってしまったんですね。要は「濡れ場があるから、それができる人だけ応募して」みたいな応募告知になっちゃったんです、最初の時。で、みんなどうしても出たいから、応募せざるをえないって感じになっちゃって。オーディションの告知をした後に「実習として作る作品の中でやることとして違うんじゃないか」という指摘があったんですけど。僕もそれを言われるまで構造的な応募への圧力に気づかなくて、オーディションの段階で普通の現場だったら、内藤さんが言ったみたいに監督と話し合って、「この基準どうしましょうか」って、現場の前に話をするっていうことがあると思うんですけど。オーディションの段階から既に圧力というか、プレッシャーが発生してしまっている、というのがあって。それに全然気付けなかったな、っていうのは今でも反省しているんです。

内藤 要は、脱ぎたくなくても脱げば主演ができちゃうじゃんっていう状況?それは圧力になりますね。

佐野 そうなんですよ。

内藤 なるほど、確かに。単純に脱ぎのある映画を撮るとは別か。別だよね、それは。

佐野 そうそうそう。脱ぎがあるっていうのも、その映画の場合は1シーンだけ、身体的露出は撮影上で限定させるシーンだったんですけど、とはいえある種の強制力は出ちゃうので。

山形 (ハラスメントに対する講習を)やるとしたら映画美学校内で完結せずに、やっぱり第三者である講師を呼んで、外部を絡めてやるべきだと思いますね。

内藤 ああうん、そうね。

山形 普通に商業映画でも、そういう講習は内側で完結させずに外部にお願いしてやったりしてるんですかね?どうなんだろう。

佐野 韓国はやってるらしいですね。ハラスメント講習をスタッフもキャストも全員受けるっていう。外部からの講師を呼んで。

山形 映画撮影の中で直面しやすい事例とかを挙げて、映画業界に特化したハラスメント講習をどっかでやってればいいですけどね。あんまり聞いたことないですね、そういうのは。

冨永 各現場ごとに‥‥それこそ深田(晃司)さんみたいな、そういうところに意識がある方は自分の現場ではそういうことはないようにしようって心がけはあるんだろうけど。多分それだとね、全体には広がらないからね。

山形 そうですよね。

内藤 そういうの面倒とか、作品づくりの足かせになるって思っちゃう層がいて。ただ、長い目で見たら絶対守ることになると思うんですよね。映画製作、作品作りを。むしろ広げていくことになるかもしれない。アップリンクで作品を上映すべきかどうか、アップリンクで鑑賞すべきかどうかって問題もあるじゃん。アップリンクで作品を上映したり、作品を鑑賞すること自体が、浅井氏のパワハラを容認してるんじゃないかっていう意見もあって。その意見も分かる、その気持ちも分かる。
一方でアップリンクでの上映・鑑賞は、パワハラ容認とはイコールではないだろうって意見もある。被害者に寄り添いながら、加害者を批判していかなければならない。でも、加害者への批判ってどういうスタンスが正しいのかって正直、悩んでて。加害者を徹底的に叩き潰す行為が被害者の救済や加害者の贖罪に繋がるだろうか?ってことは『許された子どもたち』でも描いてたテーマでもあって。ただ、僕のいる映画の現場も、アップリンクに通じる問題を抱えていて、そこも自認しなければいけないし。全然まとまってなくてごめん。どう思う?

佐野 (アップリンクの場合は)一企業で起こった問題なので、映画っていう文化の中の担い手、劇場ではあるけれども、観客として一個人のハラスメントの問題としてとらえるか、アップリンクっていう企業の問題として捉えるのかっていう。

内藤 直接的な関係者じゃないからちょっと触れないでおこう、というのは『童貞。をプロデュース』だったりそれ以外にも問題にも多くある気分ですよね。でも静観することで、結果的に被害者を追い詰め、加害者を容認することになってしまう。今は意思表示をしていこうっていうのが日本でも高まってるとは思うんですよね。僕自身は意思表示を発表することを、あまりしてきてないし、苦手なんですけど、やっていかなきゃいけないとは思ってて。

山形 避けては通れないですし、今後はより、こういった今まで目を向けられてこなかった部分に光が当たっていく機会が増えると思うんですね。ただ佐野さんが言ったみたいに、例えば批判の対象となる一個人と、その人に関係する劇場側、あるいは作品側、っていうのをどう位置付けて僕たちは考えていけばいいのかっていう問題があります。例えば、アップリンクの問題だったら、浅井さんとそのアップリンクで上映される作品はイコールなのか、みたいな話があって。実際それは極論なんですが、アップリンクで上映することでパワハラを容認していると捉える人も出てこないとは言いきれない。映画に関しても、ウディ・アレンの作品は公開されてますけど、彼の養女に対する性的虐待疑惑は一つあるとして、彼個人と作品を同じ倫理観で断罪してしまっていいのかっていうのは、自分もここ数年ずっと引き裂かれてきてる問題ではあります。なんかやっぱり難しいなー、というか。

内藤 あれ、アメリカでは公開されてないんですっけ?

山形 公開されてないです。はい。

内藤 ティモシー・シャラメも出演を後悔してるって発言してましたよね。

佐野 ただ、ウディ・アレンの場合はまた難しくなってしまうのが、ミア・ファロー(前妻)との問題でもあって。裁判としては、決着はついてて、かつ無罪になったのが掘り返されてるっていうちょっとややこしい状態にはなってますけど。

山形 あとは(ロマン・)ポランスキーとかもそうだと思うんですよ。

佐野 うーん、そうですね。

内藤 『ラストタンゴ・イン・パリ』とかあるじゃないですか。レイプシーンが俳優側に知らされてなかった。その問題と作品を区別して見れるようになっていければいい、とは思うけど、今はずっと抑圧されてきた被害者の声がようやく出てきたっていう状況だから、そこで作品の価値とか、クリエーターとはこういうもんだみたいな感じでクリエーター側を守りすぎると結果的に被害者の声を抑圧することになっちゃいますよね。僕自身を含めて、映画製作に関わっている人の多くには、クリエイターに寄り添いたいって気持ちがあると思う。でも大きい声にかき消されちゃいそうな、小さい声に耳を傾けていくように意識しないとダメだろうな、と。

一同 うん。

内藤 でも、ね。作品の価値自体は無視できなかったりするからね。

山形 『風と共に去りぬ』が、アメリカの動画サービスで一旦配信停止になって、人種描写に関するエクスキューズを新たにつけて、多分配信が再開されてるんだと思うんですけど。そういったキャンセル・カルチャーみたいな動きが出てきてることに関して、それ自体は内藤さんが言ったみたいに、抑圧されてきた人々の声があがってるって点で非常に喜ばしいことなんです。ただ一方で、そういったキャンセル・カルチャー的なムーブメントにも、極論に走ってしまう怖さがあることは自覚しなくてはいけない気がします。やっぱり何でもかんでも極論に持っていっちゃうとまずいよなって怖さはあって、そこらへんが本当に難しいなあといつも思います。

内藤 一緒に石を投げてないと、あいつも加害者に加担しているっていう空気に怖さも覚えますね。

佐野 歴史修正の逆バージョンじゃないですけど、キャンセル・カルチャーで、過去に実際にそういう事実や作品があったんだけど、なかったことにしちゃうっていうのもそれはそれで良くないかなとも思いますよね。

内藤 『風と共に去りぬ』をエクスキューズ付きで配信してる理由もそうですよね。完全になかったことにすると、ああいう差別問題があったこと自体がうやむやになっちゃうから。‥‥‥目指すところとしてはそうなんだよね、エクスキューズ有りで作品の価値を受け止められるようになるっていうところが。

冨永 自分たちが映画美学校修了後で変わってきた感覚でもあるんで。ハラスメントの問題とか。気にするようになったのは映画美学校にいた頃じゃなくて、絶対後なんで。

佐野 オンラインで講義をやったりとか、コロナ対策もそうですけど、セクハラだったりハラスメントも、自分たち含めてアップデートしていかないとですね。社会的にも変わってきていますよね。

2020/7/11 インタビュー・構成/浅田麻衣

映画『許された子どもたち』公開中

http://www.yurusaretakodomotachi.com/
■9/19(土)〜横浜シネマ・ジャック&ベティ
■9/25(金)〜アイシティシネマ
■10/3(土)〜下高井戸シネマ、高田世界館
■10/17(土)〜シネマスコーレ
■11/8(日)~深谷シネマ

プロフィール

■佐野真規
1982年滋賀県出身。映画美学校フィクション・コース11期修了。アクターズ・コース1期TA。『ジョギング渡り鳥』(16)(鈴木卓爾監督)で助監督、公開後の配給宣伝も関わる。内藤瑛亮監督作品では『先生を流産させる会』(12)で助監督・脚本協力、『パズル』(14)で脚本協力・メイキング演出、公開中の『許された子どもたち』(20)では制作を担当。
自身の監督作に『月刊長尾理世 9月号 コーヒーとさようなら』(福井映画祭10th入選)、MV「River River」(SPIRITFEST)(17)(https://www.youtube.com/watch?v=bIctMzoiOhU)等。

■冨永圭祐
1983年兵庫県出身。映画美学校フィクション・コース11期修了。修了制作として『乱心』(11)を監督。第12回ニッポンコネクション、大阪シネドライブ2012、名古屋Theater Cafe等で上映。現在はフリーランスの映像編集業。
編集作品に内藤瑛亮監督『牛乳王子』『先生を流産させる会』『許された子どもたち』他、玉田真也監督『あの日々の話』『僕の好きな女の子』、穐山茉由監督『嬉しくなっちゃって』等。 

■内藤瑛亮
1982年愛知県出身。映画美学校在学中に教員採用試験に合格。特別支援学校に教員として勤務をしながら自主映画を制作する。高等科修了製作の特別枠として初の長編映画『先生を流産させる会』(12)を制作する。教員を退職後、『パズル』(14)、『ライチ☆光クラブ』(16)、『ドロメ』(16)等を手掛ける。
映画『許された子どもたち』が現在公開中。日テレ系・新日曜ドラマ『極主夫道』10月11日(日)よる10時30分スタート(第2,3,8話担当) 

■山形哲生
1984年埼玉県出身。映画美学校フィクション・コース11期修了。現在は海外映画などの字幕コーディネート業務に従事する。内藤瑛亮監督作には、短編『廃棄少女』(11)で助監督、『パズル』(14)で脚本協力とメイキング撮影、『許された子どもたち』で共同脚本と制作で参加。