万田邦敏さん
彼も、映画美学校の設立から関わっている一人だ。『UNLOVED』(02年)や『接吻』(08年)などで知られる映画監督、万田邦敏。立教大学の教授でもある彼が、映画美学校に感じる吸引力とは。
観ることと、作ること
まず、映画美学校に関わることになったいきさつから聞かせてください
こういう学校を立ち上げよう、という打ち合わせというか相談会に、当時事務局長を務めていた安井豊さんから声がかかりました。でも僕は『宇宙貨物船レムナント6』(96年)という映画を撮ったくらいの経験しかなかったので、大丈夫かな、何をどう教えたらいいんだろう、と前日まで不安だったのを覚えています。他の講師陣は黒沢清さんや青山真治さんら、映画通の心をくすぐる顔ぶれだったので、本気で映画を作りたい、映画の仕事に関わりたい、とにかく「俺はやるぞ!」といった気概の受講生が多く集まった気がしますね。クラス担任となった高橋くんや塩田(明彦)くんの、生徒たちの成果物に対する講評も、実に熱心で。それは今でも変わらないのですが、受講生一人一人に対して、非常に濃厚な、熱い対応をしていて、すごいなあと思ったのを覚えています。
二年目には、クラス担任になられましたね
とても思い出深い1年でしたね。西山洋市・井川耕一郎・植岡喜晴と4人体勢で受け持ったんですが、何しろ講師同士で映画の話ができるというのが、僕にはまずとても新鮮でした。それまで僕はどちらかというと、自分の作りたい映画を、作りたいようにやれていればそれで充足していたんですが、彼らは僕とはまるで違う方向から、映画論を展開してくる。とてもたくさんのことを教えられました。
たとえば、どんなことですか?
そうですね、例えば「ドラマ」ということ。いま思えば当たり前のことなのですが、映画の物語の中心はドラマだということを、彼らはあらためて教えてくれました。で、ドラマとは何かというと、それは関係性の変化なのだと。関係性の変化が、つまりは物語を展開させるのだと。あるいは、「人間」を描くということ。それまでぼくは、人間を描くなんてどうでもいいんだ、とあえて思っていました。しかし、映画の何が面白いかというと、それはつまるところ「人間」が面白いんじゃないか、という当たり前のことを教えてくれました。最近は「芝居」ですかね。映画は視覚芸術だといいますが、ではぼくらは映画で何を一番見ているかというと、それは役者の芝居なんだと。役者の芝居を通して、物語は表現されるのだと。受講生よりもよほど勉強させてもらってます。彼らが受講生に配布するレジュメを読ませてもらうと、毎度目からうろこが落ちるようです。
映画美学校に関わる以前と以後とで、ご自身も大きく変わられたわけですね
ガラッと変わったと思います。ただ、僕は映画の研究者ではなく実作者なので、そうやって考えたことと、いざ作ることとが、必ずしもストレートには結びつかないところがあって。作りながら、映画美学校以前の自分が頭をもたげてきて、いかんいかんと思うようなことも、ありますね。
万田さんの立ち位置は常に「作り手」なのですね
そうですね。僕は映画については、実際に観ることと作ることからしか学んでいないので。だから「映画とは何か」よりも「どうやって作るか」の方を、常に考えています。授業でも、そうですね。映画美学校は特にそうだと思うんですけど、実際に自分の身体を使って、脚本を書き、演出をして、カメラを回すことから始まるじゃないですか。作ることを通して映画について考えるというか。その点については、一貫している学校だなあと常々思いますね。
どんな人にもひらかれた場所
映画美学校で受講生と向き合う中で、楽しいと思うのはどういった瞬間でしょう
基本的に、いつも楽しいですよ。そもそも、自分が楽しくないことは、やらないので(笑)。たぶん「教える」「教えられる」の関係性ではないんですよね。映画について「こんなことを発見したぞ!」とか「もっとこうしたらいいんじゃないか」という投げかけを僕がした時、賛成でも反対でもいいから、何か反応が返ってくるとやはり楽しい。映画について、この企画をどう面白くしようかを真剣に話す。そういう時間が実に楽しいです。
そこに、映画美学校にしかない何かを、感じたりはされますか
僕だけではなく、おそらく講師陣はみんな、自分が楽しいと思えることをやっていると思うんですよ。そのことがかなり、映画美学校の個性になっているんじゃないでしょうか。講師自身が楽しいと思うことを元にカリキュラムを作り、それを自由に行う。この自由さが、映画美学校の活気というか原動力になっている気がします。
受講生側については、いかがでしょう
さっきも言ったように、ここでは身体を使って映画を作る「実践」に重きが置かれているわけです。ということは必然的に、共同作業が主になってくる。映画制作は否応なく共同作業ですからね。でも映画美学校って不思議なもので、そういう仲間が身近にいない、孤独な人たちが集まってきがちなんですね(笑)。だから想定外の出会いがいくつも生まれて、実にバラエティの富んだ映画が生まれていくんです。人間関係が生まれるんです。ひとりきりの個人では限界があってできないこと、思いつきもしないことが、共同作業によって思わぬ飛躍をして、とんでもなく面白い成果を生み出すことがしょっちゅうあるんです。そういうダイナミックな現場を何度も見てきました。これは映画美学校に入って、実際に体験するほかないですね。映画を作るということにおいて、ここは本当にひらかれた場所だと思います。あるいは自分を開いていく場所だと思います。開かないと損ですよ。
今は、脚本作りも編集もすべて、個人のパソコン上で自由にできてしまいますよね。そういった時代において、映画美学校の他ならぬ価値とはどういったあたりでしょうか
確かに、講師陣の名前を連ねても、特に有名人が多いわけではないですよね。だから何も知らない人から見たら、この学校はどこか、得体のしれない感じがするかもしれない。でも、とにかく一度来てみてほしいと僕は思うんです。だって、極力他者とは交わらず、自分が思うように動いてくれるスタッフを集めて作れたらいいやと思っていたはずの僕自身が、この学校に関わったことで、まるで反対のことを考えているんですから。映画作りの面白みとは、何だかんだ言っても、やはり人と関係することなんですよ。自分が表現したいことを、俳優やスタッフに託して表現してもらわなきゃいけない。となると「自分のしたいことを相手に徹底的に伝える」という営みが必要になってくるわけです。しかしそのとき、同時に相手からもじつに多くのことを伝えられているわけです。そのことに美学校以前のぼくは気づいていなかった。ひとと交わること、それこそが、実は一番楽しいんですよね。
人と向き合う場、でもあるわけですね
僕は、実は「一人で映画を作れればいいや」と思っている人よりも、どうも一歩踏み出すチャンスがないなとか、やりたいことがあるけど一人じゃ無理だなとか、そういう人の方がきっと多いと思うんです。自分から世界をかき分けて、踏み入っていきたいんだけれど、その方法がわからないとか。この学校にはそういう仲間がたくさんいるし、偉そうにふんぞり返ってる講師は一人もいないですからね。渦の中に飛び込んで、その楽しさをぜひ味わってほしいと思います。
(取材・文:小川志津子)