講師陣が、現在公開中の映画について語ると、こうなる。ショッキングな終幕が話題の『アメリカン・スナイパー』(クリント・イーストウッド監督)を、全員自腹で鑑賞。その感想を1時間にわたり聞く予定だったのが、4人の話は1時間では収まらず、こぼれた後編は「映画B学校ブログ」に掲載することになりました。合わせてお読みください。※文中、ネタバレを多分に含みます(構成・小川志津子)

AMERICAN SNIPER (C) 2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC

平凡に、サクッと描く

高橋 観終わっての率直な感想は、戦争映画としては普通に面白く観たなと。「硫黄島」二部作(『父親たちの星条旗』、『硫黄島からの手紙』)はどうも退屈だったんですけど(笑)、それとは違う、戦争映画としての面白さがあるなと思いました。でも、相変わらず『J・エドガー』(11年)で感じたような、メインの登場人物たちの退屈さがやはりある。映画的に、一瞬でパッと立ち上がってくるキャラクターというのは、写真だけで出てくるザルカウィとか、シリア人のスナイパーの方だったなあと思いました。

西山 最後に出てきた人もそうでしたね。

三宅 玄関の向こうにいた人ですね。

高橋 ああ。彼も一瞬で立ち上がりましたね(笑)。

2万田 今高橋くんが言った「パッと立ち上がってこないキャラ」というのは、おそらくイーストウッドの意識的な選択によるものだと思うんですよ。これは撮り方にも関係してきていると思うんですけど、図式的な話というのはなるべく避けていきたいというのが、いまのイーストウッドの中にあるのかなと。画面も図式的な画、というか一発で「この感じ」って決まるような画は避ける。とにかく素材として画を撮っていって、あとは編集で語る。かつてのイーストウッドは、自分が主演だったじゃないですか。それと比べて、まったく自分ではない人物を撮る時との、撮り方の違いみたいなものもあるのかなと思います。自分が主演だと、決めの芝居と画が絶対あるんですよ。でも僕は、今のイーストウッドが「つまらない」とは思わなくて。この映画も、『J・エドガー』も、イーストウッドの映画として、面白く観ましたね。

高橋 西山さんが立教大学の紀要の座談会で、『J・エドガー』の図書館デートのシーンについて語ってましたよね。

西山 僕はどうも、ディカプリオが芝居を間違えてるんじゃないかと思ったんですけど(笑)。『J・エドガー』は特殊な映画で、時制が入り組んでいることもあって一つ一つの場面の狙いがよくわからないんですね。前後の大きなつながりでドラマの脈絡を推し量っていくと、ここはこういうことだったんじゃないかな、という感じで思い当たるフシが出てくる。図書館の場面は、ディカプリオのエドガーとナオミ・ワッツのヘレンは、自分たちが同性愛者で普通の男女の恋愛が出来ない人間であることを内に秘めていて、普通の人とは違う生き方を選択せざるを得ない人間であることを、互いに自覚している、そういう前提で演技を考えた方が分かりやすく面白くなったんじゃないかと。ところが、ごく健康的な普通の青春映画のような芝居で演じられていて、秘密を抱えた人の陰影がまるでなかった。

6高橋 そこがさっき言った「人物が立ち上がってくる」かどうかの演出方針にかかわってくると思うんですけど。西山さんの話を聞いてもう一度『J・エドガー』を観直してみて思ったのは、たぶんあの二人は、単純な仕事を毎日繰り返していきたいと思っている奇人たちなんですよ。お互い居心地がいいからその関係を続けてる。本人たちもその認識でいるし、イーストウッドもそういう認識で、あの二人を捉えていたんじゃないかと思います。あの映画が全編で伝えようとしているのは、「つまらないけど平凡な努力を繰り返している奇人が歴史を動かしたりする」ということなのではないかと。『アメリカン・スナイパー』の主人公も、人が普通やらないような努力を延々と続ける男という感じがして。イーストウッドはそもそもの「人物の捉え方」は、変わっていないんだなと思いました。

万田 やっぱり、本人がやるのとやらないのとでは、差が大きいんだと思うなあ。最初に『バード』(88年)を観た時も、芯がないなあという印象があって。『J・エドガー』における図書館のシーンも、何を狙いに演出したのかがよくわからないままなんです。西山くんや高橋くんが言ったみたいな解釈もあるだろうし、単純に異性と距離が縮まる瞬間のウキウキ感みたいに見えたりもするし。何かひとつの狙いだけで撮っていくというよりは、もっと漠然としたものを撮っているという印象を、最近のイーストウッド作品からは受けますね。そうなってくるとつまらなくなる、っていう言い分も一方でわかるんですけど。でもそれって、やろうと思っても、なかなかできないんじゃないかなと思う。面白いなあ、自分もやってみたいなあと思いますよ。

高橋 何に引っかかるでもなく、サクッと描かれた芝居を?

万田 そうそう。でもトータル的に、観終わった後、何も引っかからないわけではなくて。何かに引っかかりながらも、観終わった印象は面白いので、そこに何か秘密があるなと僕は思っているんですけど。ほんとにただサクッと、平凡な人を撮っただけの映画はつまらないけど、イーストウッドがしていることは、それではないと思うので。今回は題材もいいしね。そのへんの嗅覚は残っているんだなと思うので。一方に非映画的な芝居があって、一方に圧倒的に映画的な題材があるというバランスの悪さは面白いなっていうふうに思うんですけどね。

高橋 普通、人が映画を作るときに「頑張ろう」と思うことを、イーストウッドはどんどんやめていっているように思えるんですよ。それが、確かに異常事態なんです(笑)。何を観ているんだろう僕らは?というのが、イーストウッドを巡って僕がいつも考えることなんです。

AMERICAN SNIPER
(C) 2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC


メッセージは秘めなくていい

万田 今回、驚いたんですよ。今まで戦争映画で、スナイパーが狙っている標的の中に子どもがいて、しかもそのまま撃って、子どもが血を流して即死するというのは、今まであんまり観たことがないと思うんです。イーストウッドが、こんなことやるんだ……ってちょっと驚いた。

高橋 「映画秘宝」の特集によると、イーストウッドが本人から「最初に撃ったのは子どもだった」ということを聞き出して使った、ということらしいです。つまりイーストウッドは相変わらず、人が言いたくないであろうことを引き出して、マイナス感情を喚起するようなことを描こうとしている人なんですよね。

5三宅 子どもを狙撃するシーンもそうですが、僕が一番緊張したのは、ラストで主人公が、撃鉄を起こしたピストルを持ちながらキッチンで奥さんとダンスするところです。子どもたちもすぐそばにいて。あれがものすごく緊張したんですよ。これからどんな悲劇が起こるんだろう!と思って。観終わってからもずっと、なぜあのシーンにはそんな緊張が走るのか、考えてみたんです。もちろんピストルもあるんですが、あのダンスではじめて主人公のキャラクターが立った、という感じがします。おそらく主人公は終盤、自宅では寝てるか、ぼーっとテレビの前に座ってるかだけなんですよね。基本的に動きが殺されている。スナイパーのときも、じっとしていることが仕事ですよね。だから、あのダンスシーンで初めて動き出した!という印象を受けたのではないか。あの不穏さは、そこから来てるのかなと思って。やっと幸せに向かって動き出した瞬間にすべてが終わる、夫婦の物語として僕は観たんですけど。

高橋 拳銃を扱う人間が決してやっちゃいけないことをやっているからね。PTSDの主人公がついに家族を皆殺しにするんだろうな!と思って僕は観てました(笑)。

三宅 それは僕は絶対観たくないから(笑)、頼むから何も起こらないでくれと思いながら観てました。

西山 その後彼が殺されるという場面が、結局描かれてないんですが、僕は、その後も観たかったなと思うんですよ。最後、主人公を殺すであろう男が玄関の向こうにいるんだけど、一瞬見えただけですごく不穏で死の予感みたいなものが感じられたんだんだけど、あれはドア越しに見ていた奥さんが感じたもので、主人公からどう見えたのかはわからない。だけど、この映画の題材の本質は、ここから先にありますよね。最後、主人公が相手の男とどういうふうに向き合って、何を感じて、どんな言葉を交わして何が起きたのか、僕はそれが観たかった。イラクではなくアメリカ本土の射撃練習場が戦場になる一瞬です。奥さんが感じた不安はそこに繋がる。生い立ちとか、家族関係の悩みとかって、本当はそんなに要らないんじゃないかって思ったんです。

高橋 『父親たちの星条旗』(06年)もそうだけど、描かれているのはPTSDでしたよね。PTSDを描いても、面白いことにはならないんだなというのがよくわかりました。それは今回もそうなんだよね。ドリルっぽい音を聞いてハッとするとかさ。

三宅 妻が呼ぶ声も聞こえずに、何も映っていないテレビをずっと観ているとか。起きていることそのものとしては、確かに面白くはないですね。

高橋 つまりそこにも、掘り下げようのないことをただ平坦に探っているだけの、「普通はそこで頑張るよね」ということをサクッと描いてしまうことを厭わない監督、という印象を受けてしまうんです。『ミスティック・リバー』(03年)あたりから、すごく彼は、暴力についてある認識を語っているような感じになっている。そこに、僕はどうも不信感を抱いてしまうんですね。『グラン・トリノ』(08年)で言うと、「暴力の連鎖はよくない」というメッセージ性を秘めた作品として、たぶん世の中には受け取られていますよね。でも映画はメッセージや理屈を秘めるために作るじゃないんだし、イーストウッドだってそんなこと考えてるはずないんだけど、「あえて撃たない」と取られるような表現を選びとってしまう。

万田 僕は『ハート・ロッカー』(08年)は、こんなふうに露骨に戦意高揚させてしまっていいのかなあって、ものすごく嫌な気持ちになったんですけど。でも『アメリカン・スナイパー』は、両方を丁寧に描いていくじゃないですか。戦意高揚的な面もあれば、戦争によって狂っていく人生も同時に描かれる。そして最後、敵のスナイパーを殺す時に、主人公ははっきりと一線を踏み越えて「人殺し」になりますよね。指令を無視して、個人的な怨念によって引き金を引く。『ダーティー・ハリー』(71年)もそうですよね。敵討ちのために、やっちゃいけないことをやっちゃってるという感じ。

3西山 あの時、敵をどう発見したのかよくわからなかったんですけど。あれは、彼の特殊能力だったんだろうか。怨念で見つけた、ってことでいいんですかね(笑)。

高橋 スコープ越しに見ても、よくわからないんですよね。そこが、さすがでしたよね。彼にしか見えない世界が描かれている。

万田 イーストウッドは、そういうことをやるんですよね。先に観客にネタ晴らしするのではなく、「いるかいないかわからないけど、主人公だけは確信している」という描き方。シーゲルとレオーネから受け継いでるんじゃないかと思うけど。ガンマンの境地みたいな感じ。

1

 ※後編は「映画B学校」にてお楽しみください。

A『アメリカン・スナイパー』大ヒット上映中!
オフィシャルサイト:http://www.americansniper.jp
配給:ワーナー・ブラザース映画

(C) 2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC