細野牧郎さん
細野牧郎さん
(フィクション・コース第21期初等科生)
小学生くらいの時に両親に連れられてみた五福星をみたのが一番最初の映画体験。以来、ホラー映画に夢中の少年時代を過ごし、一時期はテクノ系の音楽をされていた時期があったそうですが、やっぱり子供時代から好きな映画を撮りたいと大学時代から本格的に映画に取り組み始めたそうです。修了制作提出後のタイミングでお話を伺いました。
映画美学校に入る前
ーー大学から本格的に映画を撮り始めたんですか。
そうです、大阪芸術大学に入ってから本格的に映画を始めたんですよね。それまでは映画を本格的に作ることはなかったんですけど、本当の処女作は、大学に入ったときに授業で作った映画で、ちゃんとスタッフもいて、尚且つフィルムで撮ることが初めてでした。そこからずっと今にいたるまで、映画一色……ですね。20歳くらいからずっと、映画を作らない時期とかもあったりしたんですけど、基本的には映画のことをずっとやってましたね。
ーーじゃあ大学で映画やっていて、卒業後からずっと自分で作品を作っていたんですか?
卒業してからいろいろ、大阪いたりとか東京にちょっと就職したりとかあって、30歳で札幌に戻ってきて、そこで自主映画をずっと……仕事しながらやってたという感じですね。
映画美学校に入ったきっかけ
ーー映画美学校に入ったきっかけは?
もともと、映画美学校の存在は知ってて、それこそ黒沢清さんとか高橋洋さんとかが講師をされているというのは聞いてて、近代日本映画の作家で気になる作家を多く輩出してると思ってたんですよ(深田晃司さん、三宅唱さん、富田克也さん、内藤瑛亮さん、大畑創さんなど)。前から興味があって、チャンスがあれば行けたらな、と思っていたんですけど。それでちょっと……30代でずっと映画を作り続けていて、あんまり全然その、何か賞にひっかかるとか、先のキャリアにつながるような決定的な何かの結果を残せなくって。そう思った時に、ちゃんと学び直さなきゃ駄目なんじゃないのかな、と思って40歳になる前に決心して、去年入ったという経緯ですね。はい。
ーー学び直さなきゃっていうのは、なんだろう、これまで自分の作っていたものをこう、人にみせるような感じでっていうことですか。
そうです、人に受けるっていうか、別に今までの自分の作品が駄目だとか思っているわけじゃないんですけど、なんかもっと……どうやったらよりもっとより深く、広くの人に伝わるのかっていうのを考え直す時期なのかと思ったんですよね。でも、入ってみたらそれが、こういうことだったのかという気づきは多かったなあと思います。
印象に残っている講義、一番勉強になったこと
ーー入ってみて、1年間いろんな講義があったと思うんですけど、中でも一番印象に残っているのは何ですか。
一番印象に残っているというか、大変だったのはミニコラボ実習は結構、いろんな意味でエキサイティングでした。昼間、フルタイムの仕事やりながらやるってということで、ミニコラボは本当に結構本格的な、まあ商業映画に近いような体制でやっていたので。むかし一応、昼ドラのADとかCM会社にちょこっとにいたことがあったりしたので、その時の経験を、何だろう……混沌とした大変な感じを思い出すなと思って、それが懐かしいというか、なんかこういう感じだったよな、現場って、って思って。いろいろ大変だったんですけど、仕上がった作品みてやっぱりいいなと思いましたね。作品が完成すると報われるな、と思うというか……。講義の中でいちばん大変だったんですけどね。
(注:ミニコラボ実習/グループに分かれて映画作りの始まりから終わりまで、プロの映画監督と一緒に短編映画の制作をする実習講義。第21期では、菊地健雄監督、大工原正樹監督、高橋洋監督、西山洋市監督が担当されました)
ーーミニコラボ実習では菊地班だっだんですよね。菊地健雄監督の演出を実際に見てどこが勉強になりましたか。
役者につける演出というか、取り組みですね。こうやって現場を進めていくんだな、プロの人は、っていうのが面白かったです。菊地さんの演出……本当に丁寧なんですよね。
ーー演出が丁寧っていうのは、説明が多いとか?
説明っていうか、なんだろうな、前段階の準備から結構丁寧で、割とリハーサルを前段階から、撮影に入る前から脚本を一緒に作っていってキャラクターについて話し合ったりとか、あとは、役者同士でコミュニケーションを深めるための身体作業的なワークショップを何回もやったりとか。事前のコミュニケーションをかなりがっちり役者さんととっていたので、あれだけ丁寧にやって、現場でもなおかつ丁寧に撮っていたんで、ここまで丁寧にやるとやっぱり作ったものは……、こんなことを言うのもおこがましいんですけど、プロとしての仕事というか。ちゃんと丁寧な破綻のないものになるんだなというのが、勉強になりました。
(カリキュラム表見ながら)だからこのカリキュラムの中でやっぱり大変だったのは、ミニコラボ実習とそれこそ、今の修了制作が、もう本当に追い詰められましたね、自分の中では。
あとやっぱり……、勉強になったのは、「短編をつくる」ですね。「短編をつくる」1、2、3て。毎回限られた時間で作ってきて、しかも作ったものをちゃんと講評してくれるっていうのはすごくためになりましたね。他の人の作品もみて、それについての意見とかも聞くのもすごく勉強になって。それこそさっき言っていた自分の中で、どうやったら広く深く届くんだろうっていうのを結構考え直すきっかけにはなってるかな、と思います。
(注:短編をつくる/1人1人が短編を制作する課題。年3回行い、実習で得た知識や経験を自身の作品にフィードバックしていきます)
ーー講評ではどんなことを言われるのですか。
まあ深くというか色んなことを言ってくれるので。シナリオ段階で問題があるものっていうのは映像で見ても問題があるんですね。的確にシナリオの問題点とか、機能していないセリフっていうのを見抜いていただいて、ああそうか、だからもうちょっと、もう一段階深く、掘りこまなきゃいけないんだっていうのを、それが本当に勉強になりましたね。
ーーそれはアドバイスをくれるとか、具体的な案をくれたりとか?
そうですね。「このセリフには嘘がある」とか、具体的なこうしたほうがいいというアイデアをいただいたりとか、そういうのがすごく勉強にはなりましたね。
映画美学校に入って変わったこと
ーーこれまで自主映画を撮られていて、ここに入って何か違いってありますか。
やっていることとかは大きく違わないんですけど。やっぱり東京に来て、今の映画美学校の新しい仲間と出会えたことは結構大きいというか、今までと違う、まったく、誰も知り合いのいない環境に来て、一から関係性を作って、という中で、仲間ができたというのが一番ですね。新しい仲間が増えたというのが、今までと一番違って、なおかつ意味があったかな、と思いますね。
締め切りを買う、ということ
ーー逆に映画美学校のあんまり、と思うところはありましたか?
どうなんだろうな……。でもいい面だしなと思うところもあるので。結構きつきつのスケジュールで1年間の凝縮具合が半端ないんで、フルタイムで仕事しながらやるっていうのが本当大変なんですけど、その、大変なのが良かったりもするんだよなと思って。仕事しながら続けるのであれば、ある程度のもち前のタフさみたいなのが必要かもしれないですね。ある程度、多分。
ーー確かに続けるっていうのが一番、難しいですよね。
だからそのいい面でもあり、悪い面でもあるのかなという気がするんですけど。でも僕はそこを悪い面だとは思っていないので、人によっては、という感じかもしれないです。この大変さっていうか、このタイトさっていうか。だから高橋洋さんが「君たちは締め切りを買いにきたんだ」ということを言っていて、まさにそのとおりだと思って。
あれだけ制限された中で作るっていうのがこれまでなかったので、札幌で自主制作作っている時っていうのは。まあなんとなく自分で期限を決めて、自分で自由に企画を出して、納得のいくシナリオが書けたら集めて撮ろうかという感じだったんですけど、映画美学校は何月何日が提出!っていうように決まっていて、なおかつ同時並行で撮影実習というのもあって、フルタイムの仕事をしている中で、この期限内で役者集めてシナリオ書いてとなると、逆算して作れるものはなんだ、というのを考えるので。実現可能で、5分程度で、どんな話で、なおかつクオリティーの高いものを、って考えると、思考の訓練とか、締め切りの中でどうやって頑張って作ればいいだろうっていうのが鍛えられたというか。制限がまあ要は締め切りを買うっていうのと一緒で、その締め切りがあるからこそ、鍛えられて学べたんじゃないかなと思いますね。
これからのこと
ーーじゃあ修了制作も出して、今はやっとひと段落という状態ですか。
まあ、まだなんか実感として何か、こうだったみたいな言葉を出せるわけじゃないんですけど、いや、大変だったな、という感じですね。初等科で学んで、まだちょっとシナリオだったり演出だったりとか、もっと深く学んでいきたいと思っているので高等科には次、必ずいきたいとは思っているんですよね。
(インタビュー・構成/松山にき)