脚本コース第5期初等科昼クラス講師として、本年度より担当する脚本家の田中幸子さん。(2)では藝大卒業後、脚本家として初めての仕事である『トウキョウソナタ』のこと、そして初めて脚本を書いた時のことなど、じっくりとお伺いしました。

田中幸子さん×高橋洋さんインタビュー(1)はこちら

脚本コース第5期初等科 4/24(金)開講!
詳細はこちらから

実際の講義を体験!オープンスクール開催決定!【無料・要予約】
3/20(金)13:30〜 担当:田中幸子
4/3(金)19:00〜 担当:村井さだゆき
申し込みは「お問い合わせ」から!

黒沢清との共同作業『トウキョウソナタ』

3_sho高橋:商業で最初に声がかかったのが『トウキョウソナタ』?

田中:そうです。黒沢さんからある企画があるけど手伝ってくれませんかと連絡が来て。

高橋:黒沢さんはきっと藝大大学院時代の田中さんのホンを読んでて、『トウキョウソナタ』の企画の時に田中さんのことが頭に浮かんだんでしょうね。オファーが来た時どうでした?

田中:今までそんなことないですから、それは是非!という感じでしたね。

高橋:これで食える!と

田中:さすがにそうは思えなかったです(笑)。社会人経験があったので、好きなことで食べて行くのは、そんなに甘くない世界だろうなと思っていたんです。これが続くとは思えなかった。脚本の仕事と並行して、教職も続けていましたし。

高橋:田中さんが関わった時はどのようなタイミングで

田中:黒沢さんが書かれたプロットがありまして、それを元に第1稿を書きました。

高橋:そこから二人のキャッチボールが始まるわけですね。「主人公の息子がアメリカ軍に参加する」なんてアイデアはどこから出てきたんですか? かなりフィクション度が高い、なかなか思いつかないよねと思ったんだけど。

田中:黒沢さんとキャッチボールしながら生まれたことですね。共同脚本だと2人であーでもないこーでもないと相談している時に出てくることもあれば、どちらかがAという案を出して、それを受けた人で変化してBができるんだけど、BはAがないと出来ないじゃないですか。だから特定の箇所が誰かのアイデアと断定は難しいです。そのへんが共同脚本の醍醐味のひとつだと考えたいです。

高橋:黒沢さんが田中さんを呼んだのは、多分世界を広げたかった、自分以外の引き出しが欲しかったからだよね。じゃあ、意見がぶつかったところとかある?

田中:それはありますよ(笑)。意見はぶつかりますけど、最終決定をするのは黒沢さん。ぶつかったところは黒沢さんの意見が通りますね。

高橋:黒沢さんが書いてきたものを見て、「戻してほしい」と思った時は?

田中:それはちゃんと言います。言って私の意見が入って直されるときもあれば、直されない時もありますね。そういうものだと思います。

高橋:『トウキョウソナタ』でいうと、ピアノの才能がある少年が出てくるけど、ピアノの才能があるということを映画の中で表現するのはすごい難しいことですよね。フィクションの中にもう一つフィクションを作ることだから。その話し合いとかしました? 出来上がった映画を見ると、この少年がピアノを弾くのは最後だけ。それまでは一切ない。自分の家で練習するのも壊れたピアニカで一切音は出ない。極めて巧妙な作戦を立てているなと思うんだけれども。

田中:覚えてるのは、この映画の映画音楽は、全編クラシック音楽に溢れるか、または、最後にオーディションのところの1曲(ドビュッシー「月の光」)だけ全部まるまる弾くかどちらかになると、脚本を書いている過程で、なんとなく分かっていました。黒沢さんとそういう話をしたわけではなく。共通認識として、あ、この映画の勝負の部分でもあるなと。最終的には1曲まるまるやるっていう勝負の仕方だったので、なるほど、と思いましたね。

高橋:井川遥演じるピアノ教師が「この子才能ある!」と気づく瞬間とかふつうやりたくなっちゃうところだと思うけど。

田中:やらないですね。「あなたには才能があります」とさらりと言葉で済ましてしまいますね。でも、それでいいと思います。才能って、人にいわれて初めて気づく人もいるよね、ということで。

高橋:どの登場人物に一番思い入れがあったとかありますか?

田中:誰も思い入れありますけど、監督が一番気を配って欲しいと思っていたのはお母さん役だと思います。なので、そこを強くしようと心がけていました。

高橋:『トウキョウソナタ』って出てくる女性が、どの人も不気味だなと。公開の時にキネマ旬報から依頼されて書いた批評のタイトルが「現代の出征」にしたんです。バスで母親が息子を送り出すところ、もし現代に出征があったら、この感じなんだろうなと。あそこのシーンがすごい怖かったんです。息子が戦地に行くことが怖いんではなくて、母親が意外と軽く見送っているところが怖かったんですけど。もし自分が息子の立場で母親にさくっと見送られたらその瞬間に「俺は捨てられた」と感じるんじゃないかとか。

2_sho田中:そう考えると怖いですけど、私の感覚だと今はこうだよね、と思ったのがあれなんですよね。だから自分はあまり怖いと思ってなくて。普通の母親が普通に見送るというシーンでした。あのお母さんはやっぱり何も知らない人なんですよね。私がアメリカにいた頃ですが、大学通っている人の中には、軍隊に入ってお金を貯めてから入学する人がいるんですね。または軍に所属しながら学生をしている人もいます。キャンパスにも軍服着て歩いている人とか。「ああ、そういうシステムもあるんだ」というのを知って。お兄ちゃんとかの存在はそれに近いというか。恐ろしいところに覚悟を持って行くとかではなく、仕事として行くんだという感じ。今は時代が変わっちゃいましたけど、お母さんの方もそんな危険なところに行くという感覚はないんだろうなと思って書いてます。息子は遠くへ行っちゃうんだなと漠然と受け止めていた母親が、息子が敬礼することによって、「全く私の想像の及ばない恐ろしい場所に行ってしまうのかな」と気づく瞬間ですよね。あそこが。ある意味、母親より息子のほうが、事の深刻さに意識的なんです。

高橋:ああ! アメリカで生活経験がある、日本を外側から見ている田中さんの視点が入ってるんですね。にしても僕が見た時の印象と真逆だ(笑)。

田中:そうか、おどけたと思ったんですよね。

高橋:ああいうとき、息子は母親に何かしたくなるんですよ。で敬礼してみせて。そこで母親が悲しそうな顔してくれたら息子も「行ってきます」って感じになるんだけど、あれ?うちのお母さんノーリアクション、という。

田中:現実は「いかないで〜」なんてありえないじゃないですか(笑)。そんなものではないかなと思っています。

高橋:子別れのシーンが同時に子捨てでもあるという感じを受けましたね。残酷なシーンになってるなと。あの後虫の知らせがあって、息子が帰ってきて「俺たくさん人殺しちゃって」と母親に言う。それは夢だったんだけど、その後戦死者の情報を外務省に問い合わせたりして。結局息子は戦地にいくことなく、向こうで頑張るよという話になるんですが、虫の知らせという形で死や暴力がふっと入ってきて、でもそれはなかったと。『アカルイミライ』あたりから感じている、黒沢さんが映画の中で暴力を描く、暴力的な題材を描くときの微妙な距離の取り方、90年代のころと変わってきてる気がするんですよね。

田中:希望とか言うと当たり前すぎますけど、家族の崩壊を描きつつ、希望の話であって欲しいし、祈りのようなものを含みたいと監督も考えていらっしゃるんだと思います。

高橋:『リアル 完全なる首長竜の日』の話も聞きたいのですが。『リアル 完全なる首長竜の日』に関して一度黒沢さんと対談をしたことがあるんですけど、田中さんはどういう関わり方を?

田中:プロデューサーから原作を渡されました。当時私が考えていたのは、女性メインの結末を考えてたんですけど、監督とプロデューサーが考えてたのと違った感じになってきたので……。

高橋:出来上がった映画って綾瀬はるかメインに感じましたが。

田中:そうですか。じゃぁよかった。

高橋:おそらく原作にない展開で一番大きいのは−−−原作読んでないので想像ですが−−−最後に昏睡状態の彼氏が、脳波がフラットラインになって死んだと。いうのにもう一回センシングすると。あれは多分原作にないですよね? 綾瀬はるかが“死んだ人間の意識に入る”という形で一線を越えちゃうわけじゃないですか。あそこが「お!」となったんですけど。あれで十分綾瀬はるかはヒロインなんじゃないかと思ったんだけど。

田中:高橋さんがおっしゃる通り、そこの世界(死後の世界にダイブする)面白いよね!と私も思いました。だって死んでいる無意識の人の脳の世界は今までとは違うのではないかと。映像表現としてもどうなるのか、興味の尽きないところです。ただ、個人的には、もっと現実的な結論まで行きたいなと思ったんですよ。植物状態の彼の生命維持装置を切るか切らないかまでやれないかなと。センシングして、全ての謎が解け、その後に、現実の生きている人間として、女の人が悩むというのをやりたかったということですかねぇ。

高橋:そこで最終的な選択をせざるを得なくなるという。僕が黒沢さんと対談した時に言ったのは、死後の世界にダイブする、あそこで強硬に反対する人が必要だったんじゃないかってことでしたね。宗教とか絡みにくい日本だとなかなか難しいけど。そう言えば中谷さんの役って昏睡状態の男にずっと付き添ってて、中谷美紀の邪恋って感じしましたね。

田中:中谷さんが全部仕組んでいる、と解釈できるかもしれないです。邪恋というより、実験をしている目で見ている。

高橋:実験なのか!

 

書かないと始まらない

高橋:僕らにとっては初の女性講師がすごい嬉しい。実は今の高等科(第3期)の脚本選考を田中さんにお願いしたいなと思っていて。その話を受講生の女性たちに言ったら「女性の脚本家に読んでもらうのめっちゃうれしい!」って。やっぱり男ばっかりの見解に晒されてるという感じはあるみたいですね。

田中:ああ、それはありますね。女性と男性は考えることが違いますからね。

13_tri

田中:受講される方の中には初めてシナリオを書く方がいらっしゃると思ったんですよね。私も初めて脚本のようなものを書いた時どんな気持ちだったかなと、何で書き始めたのかなと、昔書いたものを見直してみたんですよ。これは高校の時のですが、これ書いてる時ってとりあえず描きたいものを勝手に書いてたなと。一応、×とか入れてて、「あ、推敲してる」って思って。

高橋:うわ、これは演劇の台本、しかもミュージカル!?

田中:ミュージカルなのに歌わない、ダンスだけというものです。その時って勢いで書いてたなって。高橋さんもお若い時から書いてるじゃないですか。高橋さんはどんな気持ちで書かれてたのかなって是非お伺いしたいと思って。

高橋:初めて脚本らしきものを書いたのは高校ですね。高校1年のときから8ミリ映画を撮り始めて、初めてその時に脚本というものが必要なんだと知った。文化祭の出し物だったんですが、クラス全体で作るから全員が読んで動けるものが必要だと。でも脚本を読んだことがなかったんで、キネ旬をぱらぱら読んでたら採録シナリオが載っていたんですね。『フレンチコネクション2』。たまたま見ていたから映像は浮かぶわけで、それを文字にするとこうなんだ、と。採録とシナリオの区別もついてなくて。で、完全に独学だけで、やりたいことだけ書いて。高校も大学もその感覚でしたね。月刊シナリオとかぱらぱらと読んだけど、実はシナリオを書こうなんて気さらさらなくて、むしろ、ゴダールなんかが、何でシナリオが要るんだ、メモだけでいいなんて言ってるのを鵜呑みにして(笑)。撮影時に忘れないための作業メモぐらいでよかったんですよ、実際。その後、大学を出てからプロットライターやってみないかと誘われて、初めてプロットと呼ばれるものを書いて、それがたまたまTVのプロデューサーがこの人がホン書けばいいんじゃないのと言ってくれたから初めて商業のシナリオを書いたんです。それまでは普通シナリオとよばれるようなものは書いてないですよ。見よう見まねで書いてましたけど。いいかげんなもん。ただ子供の頃にお話を作って遊ぶというのはずっとしてましたね。

12田中:私も小学生ぐらいから小さい漫画の本を作るとかしていました。

高橋:小学生から演劇もやってたわけですよね。僕は人形劇だったな。あと、妹がいたので、妹が寝る前に、妹のリアクションを見ながら話を即興で作って聞かせるというのをやってましたね。

田中:受講する人には、初心みたいなものを忘れないでほしいな、と思います。それは私も含めて。理論も大切なんだけど、勢い、とにかく書きたい、という思いもやっぱり大切だなって。勢いで始めても、それをうまく直して、シナリオの形に作っていけばできるんじゃないかと。

高橋:自分でハードルあげて、守りに入っちゃうと書けなくなっちゃうから、そういう意味では高校の時ぐらいでいいんだよね。怖いもんなしで書いちゃう。

田中:書いてみて、せっかく一緒に学ぶ人がいて、文句言ってくれる人がいるから、その声を取り入れてみる。それが次の一歩に繋がる、と思っています。

高橋:初等科は多分そうなんだろうな。身構えて作法を守ってこういうことはやっちゃダメとか考えちゃうと自分で書けない理由作っちゃうもんね。とりあえず自分の描きたいものを勢い良く始めちゃう、という。

田中:そういうのを書いていたとしても、無駄にはならない。形を変えて、エンタメに使えるよ、という発見があるかもしれない。そのためには、勢いよく始めちゃったものを大胆に直すことを恐れてはいけない。後で辛くなりますから。

高橋:それぐらい自由な空気が生まれたらいいですよね。

田中:自由な感じと、でも基本は押さえておきたいです。

高橋:受講生を見ていると、百何十日も書けない日々を送ってしまう人がいるのも分かるんです。書くまで怖いんですよ。いくら経験があっても次が書けるという保証はない世界だから、空白に向かい合うのが怖い。それを回避しつづけてケツに火がつき始める。田中さんの高校時代のシナリオは数日でばああああっと書き上げてる勢いがありますね。

田中:実際、あの頃はそうだったと思います。書かずにはいられない、というようにして、書いていました。PCなんて持っていなかったし、手書きで必死に。でも、今は、便利になった分、勢いでバババと書き上げることも、じっくり何度でも直してみることも、どちらも可能です。結局、どちらでもいいのです。ただ、書かないと、何も始まらないのです。

 (2015.3 映画美学校にて)