脚本コース第5期初等科昼クラス講師として、本年度より担当する脚本家の田中幸子さん。田中さんは東京藝術大学で美術史を学んだ後、卒業後アメリカの大学で建築を学び、そして2005年新設された東京藝術大学大学院映像研究科の脚本領域に入学、卒業後、黒沢清監督作品『トウキョウソナタ』で脚本家デビューしたという経歴をお持ちです。しかし、小学校からずっと脚本を書いていらっしゃったという、そんな田中さんが歩んでいらっしゃった道を、主任講師であり、黒沢清作品の脚本を手がけたこともある高橋洋さんが伺います。

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3/20(金)13:30〜 担当:田中幸子
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高校でシナリオを教えるということ

高橋洋(以下高橋):高校でシナリオを教えているって聞いてけっこうビックリしたんですけど。ちょっと想像がつかないというか(笑)。

田中幸子(以下田中):美大出身ということもあり、美術の教員免許を持っていたんです。なので脚本の仕事をする前は高校の美術の講師として働いました。教えていた芸術高校が総合芸術高校に変わって、美術科の中に映像コースというのが出来たんです。その頃には脚本家としてお仕事していたので、その学校の映像コースの中でシナリオと映像文化研究をやらせてもらっています。といっても毎年10名ぐらいの少数精鋭のクラスなんですが。映像コースといっても映像に興味はあるけど、特に脚本を書きたい人はほとんどいなくて。シナリオの基礎と、映像文化は映画史入門&鑑賞を教えています。

高橋:総合芸術高校ってどういう子達がくるんですか?

田中:美術科、音楽科、舞台表現科がありますね。様々な生徒さんがいますが、私のような普通高校で育った人間からすると、15歳ぐらいで美術、芸術の世界に入ってみようという勇気のある生徒たちです。個性的な人間が集まっているな、と思います。課題の締切りに合せて創作していくのが大変なので、ものすごい忙しかったりします。技術を日々磨いて。外から見ると好きなことをやって楽しそうだねという印象かもしれないですが、そこに飛び込むとめちゃくちゃ大変な日々を送っているようです。

高橋:シナリオの授業はどんな感じで進めていくんですか?

田中:まず、シナリオってどんなものかを伝えることからですね。例えば舞台と映像のシナリオって違うことを知ってもらうために、舞台の戯曲を読んでもらって、次に映像鑑賞で観てもらう「東京物語」とか「七人の侍」とか、ベーシックな映画作品のシナリオを読んでもらって理解してもらうという感じですね。授業は他の先生方とローテーションでやるので、何か月か長期にじっくりと腰を据えて書き続けるというよりかは、その場で課題を出して、書いてもらったりします。短い会話から。尺とか全く考えずにまずは書いてごらんと。シナリオのお題は与えますね。あとは美術コースの人たちなので、1枚の写真を見せて、ここからなんでもいいから考えてみて、ということもします。

高橋:会話から書かせるというのはなるほどなって思いますね。僕自身、自主映画出身だからそうだったんだけど、はじめはやっぱり自分の作りたい映画をとりあえず紙の上に書こうとしちゃう。シナリオという意識もなく、まずは映像を書いちゃって、ダイアローグ、芝居を書こうとは実は思っていない。会話から書かせるということは否応なく芝居から書かせるということですよね。

田中:そうですね。映画のシナリオの要素って、柱、セリフ、ト書き、3つしかないじゃないですか。それを考えると、高校生だと一番身近で日常生活に沿って書けるのは、多分話し言葉であるセリフだろうなと思って。

高橋:会話を書けと言ったとき、ワンシチュエーション、柱ひとつとかが多いけど、シーンを分けて書いたりするんですか?

田中:それも人によるんですけど。既に映像が頭に完成してしまっている人は、その映像をもとに柱を立てて、そこにふさわしい会話を書こうとします。会話だけ浮かんできて、そこにあとから映像が生まれるというタイプの人もいます。ある程度、戯曲と映画のシナリオを読ませると、柱で分けたりはできるようになったりしてきますね。だから、柱ひとつだけでも、やたらと柱が多くても、最初の段階としてはそれはいいやと思ってます。ただ、戯曲は会話でしか成立しないのでト書きがあまりないというのは、読み比べることですぐに理解してくれますね。

高橋:何年生を教えているんですか?

田中:2年生です。本当は書いたシナリオを元にして映像ができればいいんですが、私のクラスでは書く練習をしてもらって、実際に映像を作るのは専任の先生や他の講師の方々が担当されている実技の授業です。

高橋:最初に会話のお題があって、次の段階で完結した作品を目指すんですか?

8_sho田中:一応目標としては15分ぐらいになればいいなと思っていますけれど、映像にはならないので、尺は生徒に任せてしまいます。授業の間には夏休みや行事があるので、1本仕上げるということを何回もやることはできないので、1回の授業で課題を出して、書かせて、練習して終わりという課題もあります。シナリオだけ書くのではなく、キャラクター設定から始める課題とか。イラストも描いてもらって、オリジナルのキャラを考えたります。

高橋:みんなどんなシナリオを書いてくるんですか?

田中:いろいろですね。私もびっくりするほど初めからどんどんかける人もいますし。アニメしか頭にない!という人もいます。一番多いのは、高校生なので高校生の話が多いですね。自分に近い主人公の話が多いですね。まずは、自分が知っている世界、経験している世代を書くように、私がさりげなく誘導しているからかもしれません。

高橋:今の高校生のネタってどんなのですか?

田中:例えばホラーを書いてくる人とかいますよ。「(学校の授業なので)残酷な描写しないで」と言ったりしますが(笑)。あとは映像史の入門でちらっとだけ見せた『大人はわかってくれない』みたいなもの、意識はしていないのかもしれませんが、そういうものを書いてくる人もいます。

高橋:恋愛ものとか、高校生が身近に興味のあるものを書いてきたりしますか?

田中:あまりないですね。高校生だから照れがあるのかもしれないです。多いのは、ホラー系とか青春の悩みとかケンカしちゃうとか、みたいなのでしょうか。

高橋:そうか、照れがあるからあまり生々しいものは……。講評や感想を言ったりするんですか?

田中:それは言いますね。成績は、高校の授業なのでシナリオの出来というより、どれぐらい集中してやったかとかも評価にいれます。ただ、講評する時は、つじつまがあってない時はこれはおかしいというのは指摘することにしています。たとえ変な会話であったとしても、それは書き手の個性またはキャラの個性として成立するじゃないですか。でも、つじつまって構造的なものなので、その点に関しては、たとえ高校生であろうとも、「これはおかしいよね」と言うようにしてます。言われると納得する子もいれば、説明してくれてこちらが納得することもある。そのやりとりも彼らの何か、コミュニケーションの力を鍛えるものだと思っています。

高橋:実技の授業でそのシナリオを撮ったりとかは?

田中:他の先生方の実技の授業で撮っています。私の授業でも、手持ちのデジカメでとりあえず撮ってみるというのをやる時もあります。授業1コマ目で会話劇を書いてもらって、それをもとに授業2コマ目でそのシーンをカット割りして撮ってみる、生徒たちが出演もして、という。

高橋:ああ、それ、まさに脚本コースでやってる撮影実習のノリですよ!

 

違う道に進もうと志すも、忘れられなかった”シナリオ”。

高橋:大学では美術史専攻だったんですね。

田中:はい。美学・美術史を学ぶ芸術学科の学生でした。大学卒業してから、10年以上たってから大学院映像研究科に。

高橋:大学卒業してからインターバルがあって、そこから脚本家になろうと思ったのは?

14_sho田中:小学生ぐらいから演劇みたいなのをやっていたんです。と言っても本格的にではなく、本当に友達とのクラブ活動みたいなのですよ。私もなぜだか全く分からないのですが、小学生の頃からずっと脚本に興味があって。大学進学の時に、映像や脚本を学べる大学を選ぶ道もあったのですが、いや、やっぱり美術にも触れたい!と思って美術史を専攻していました。ですが、なんだかんだでずっとシナリオを書いていたんです。大学でも自主映画をやっていたりしたんですが、大学卒業の頃、演劇とか映画とか向いてないのかなと思った時期があって。大学卒業して、一度は離れました。映像研究科に入るまでの10何年間か。で、その間にアメリカに留学もしていました。アメリカの田舎の大学に行ったんですよ。そこではなぜか建築を学んだんですよね。インテリアデザインに興味があったのかな。一応そこで修士を取り、卒業しました。その後帰国して、就職していたんですが、普通に働きつつ、コソコソとシナリオを書いて(笑)。シナリオコンクールに出したりしていました。ただコンクールの最終選考までは残ったりはするけれど賞には選ばれない、というのが続きました。「もう本当にやめよう」と思っていた時に、映像研究科が藝大にできますというのをたまたまネットで見つけました。見た日というのが、願書締め切りギリギリ。とにかく受けてみて、ダメだったら、もうそこで、夢を追うのはきっぱりとやめようと思ったんですね。運良く入れてもらえました(笑)。そこで田中陽造先生と黒沢清さんに教えてもらいました。

高橋:田中陽造さんの授業を受けるまで、シナリオスクールとか、誰かにシナリオを学ぶとか、そういう経験はあったんですか?

田中:六本木にある日脚連の教室に半年は通ったことがあります。でもだいぶ前で、2000年ぐらいかな……。多分尾崎将也さんも特別講師で教えていただいたことがありますね。

高橋:でもそこで柱書き、ト書きから学んだっていうわけでもないんですよね。

田中:そうですね。独学で小学生ぐらいから書いていたから。

 

来る日も来る日も執筆三昧

高橋:陽造さんの授業はどんな感じなんですか?

田中:陽造先生の授業は、当たり前ですけど、生徒である私たちが書くということでしたね。書いて、それを陽造先生や他のゼミ生に読んでもらって講評してもらいます。すでに書けることが前提だったので書き方を学ぶというより、書いたものの可能性や欠陥について陽造先生から指摘を受け、自分なりの答えを見つけ出していく、という感じです。

高橋:そうか、藝大は少数精鋭で狭き門で、特に田中さんの第1期はすごい倍率でしょ? もうそれなりにやって来た人が集まっていた、と。

田中:当時の入試は3次か4次くらいあって、試験の度にたくさん書かされたんです。今、思い返してみても、ある程度書いている人でないと対応できない。試験を受けている最中に、入る前にどんだけ書かせれば気が済むんですか、と独り言を呟いた記憶があります。ただ入学してみてもっと書いていたので、あれぐらいは耐えなきゃいけなかったんだなと。

高橋:入試自体はどのくらいの期間で

田中:多分2ヶ月ぐらい?あまり憶えていませんが。

高橋:その時仕事もしてたわけでしょ?

田中:してました。その時は事務系の仕事でした。必死でしたね(笑)

高橋:人間必死になると大抵それぐらい無茶なことやってますよね。そういう局面をくぐりぬける時が必ずある。で、院は2年間ですよね。在学中はどれぐらい書いたんですか?

田中:記憶が定かではないのであまり自信が無いですけれど、最初の1年は短編を何本か書きましたね。あと、脚本領域の学生でも撮影にも参加するので、スタッフとして動いていたりしました。役に立たない現場スタッフだったので、申し訳なかったと今でも思っています。卒業するときは2時間ものを1本書き上げる、という感じでした。

高橋:課題というのはお題があるんですか? それとも尺だけ?

田中:藝大では映像にするというのが目的なので、尺は決められていたと思います。プロデュース領域の学生が出した企画で、今昔物語を土台にしてオムニバスを作るという時はお題が出ました。それ以外は自分の描きたいものを書きなさいと。あと、課題や撮影実習の場で学んだことと同じように、領域ごとの少人数ゼミで学ぶことも多かったです。今も、仕事をする過程で、時々思い出してなるほどと思うことがあります。陽造先生から「君は自己流、独学でやってきているから、すごい固まっている。それを、自分の好きなものを書いて吐き出して壊さないとダメだよ」と言われたんです。言われた時は、わからなかったけれども、実際に仕事を受けるようになると、その言葉の意味がわかるというのが、何度もあります。

高橋:僕も受講生にそこを伝えるのが難しいなと思っているんです。映画美学校で学んでいる受講生は自分の描きたいものを形にするんだというのがまず頭にある。もちろんそれが出発点なのですが、続けていく上で、それは客観的に見て面白いのか、と。例えば学内の修了制作として作られた映画であっても、一般のお客さんに見せる以上、世に問う作品でなければならない。それには客観的な視野を持っている、自分の作品をプロデュースする能力が必要なのですが、持っている人って意外と少ない。自分の世界の外側に出る、その感覚を未だにうまく伝えられないですよ。

田中:そう、自分の世界の外側。無限の広がりに、自分はどう関わるのか。書き手として。私も頑固なところがあるのでその時はわからなかったですけど、お仕事をするようになって、書き直しとかするわけじゃないですか。あまりに頑固だと対応できないっていう。もちろん頑固でなければいけないところもあるんですけど。

高橋:基本頑固の方がいいんですよ、少なくとも自分の経験だと。そこで簡単に譲ってしまうと他の人でもいいんだとプロデューサーに思われてしまう。プロデューサーも自分の思った通りに直して欲しいとは思っていないですよね。でも自分の世界に固執するだけだとそれは単に「頭が硬い人」になってしまう。

田中:そうなんですよ、そこが自主映画と仕事との違いだと思います。例えば、頑固だけど、何か言われたらとりあえず一度は自分の世界を疑って再考してみるとか。A案B案だけではなく、C案D案E案もポケットに入れておく、それぐらいできるといいのかなと思いますね。実行するのは難しいですが。

高橋:おお!笠原和夫(脚本家)のようだ。彼は「脚本家は作戦参謀」だと。勝ちに行くパターンとか、大負けせず撤退するパターンとか常に考えていたみたいで(笑)。

 

現実と地続きの物語

高橋:田中さんが選ぶこの映画!というのはありますか?

田中:まだ子供だった頃に予備知識ゼロで見てしまって、圧倒されたのは『戦場のメリークリスマス』ですね。多分リアルタイムで観たと思います。中学生だったでしょうか。『戦場のメリークリスマス』は、映画ってそこのスクリーンとかテレビ画面に映っている物語なんだけれども、解釈によっていろいろなものの象徴として見られるんだなぁと思ったんですね。それ以上のものが、映っているものの背後にあると思えました。今でも時々『戦場のメリークリスマス』を見直すと、そう感じます。登場人物が登場人物として芝居をしているんですけど、それぞれが友情とか愛とか憎しみを体現していて、それがすごいなと。感情の体現をいろんな人種や国境を超えているような戦場の、およそ楽園とは違うところでも表現できるものなんだな、深いなと思った。

高橋:大学時代自主映画を作るときに『戦場のメリークリスマス』で感じた感情の体現を表現したい、という意識はありましたか?

田中:やろうとしましたね。でも自主映画をやっていたといっても、部員は二人か三人の映画部で。本当に少ないんですが、戦争ものみたいな短編を作りました。戦闘そのものを撮るのではなくて、声しか聞こえない通信士の女性と会話する兵士の話とか。演じてくれる人が私の友人の二人しかいなかったので、登場人物二人のシナリオを書いて。

高橋:その後も脚本書いてコンクール出していたわけですが、一貫して描いている世界とかあるんですか? というのも、コンクールって誰かがお題を振ってくれるわけでもなく、締め切り以外は全部自分の意思決定でやっていくわけで、けっこうきついですよね。それで頓挫していく人も多い。そんな一番苦しい時期の中で、追求してた世界とかあったんですか?

田中:現実と地続きがいいなと思ってました。自分がどんな映画を好きかなと考えた時に、リアリティのあるものが好きなんですよ。なので、常に「こういう人いるよね」という、見る人が、あ、これは自分にも起こるかも、と思えるような話を書きたいなと常に思っています。日常だけど、ちょっとした何かが欠けるところから物語が始まる、というのが描きたいなと思っています。

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田中幸子さん×高橋洋さんインタビュー(2)へ続く